商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2010/06/30 |
JAN | 9784105372033 |
- 書籍
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メイスン&ディクスン(下)
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メイスン&ディクスン(下)
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商品レビュー
4.4
10件のお客様レビュー
ピンチョンの小説を語るときによく問題にされる、荒唐無稽なエピソードの数々が織りなす重層的な物語の構造は本作でも踏襲されていて、インディアン捕囚を連想させる53章、亡き妻を幻視するメイスンの醸し出すメランコリックな空気、狼男ならぬビーバー男とその妻が主演を務めるメロドラマ、念力で空...
ピンチョンの小説を語るときによく問題にされる、荒唐無稽なエピソードの数々が織りなす重層的な物語の構造は本作でも踏襲されていて、インディアン捕囚を連想させる53章、亡き妻を幻視するメイスンの醸し出すメランコリックな空気、狼男ならぬビーバー男とその妻が主演を務めるメロドラマ、念力で空を飛んだディクスンが女王の幽霊に送る熱い視線、アーサー王伝説を思わせるドラゴン退治の逸話、王立協会で繰り広げられる政治的な闘争、アメリカ大陸におけるイエズス会の暗躍、独立戦争前の緊迫した雰囲気、世界中にはびこる奴隷制など読んでいて飽きがこない。だがしかし、本作の魅力はなんと言ってもメイスンとディクスンという二人の愉快なキャラクターであり、ピンチョンの二人への寄り添いようである。『V.』や『重力の虹』など、ピンチョンはどちらかといえば登場人物の誰かに肩入れするということをしてこなかった作家である。そもそも前述の二作品で採用された、物語の進行をカメラのレンズ越しに追いかけるような描き方とは違って、この作品にはウィックス・チェリコーク牧師という語り部が存在する。 物語は1786年クリスマス期のフィラデルフィア、世界中を旅してきたチェリコーク牧師が親戚一同に「おはなし」をするところから始まる。(メイスンの)葬儀に参列するためにフィラデルフィアに戻ってきたチェリコーク牧師は長居するつもりはなかったのに、なんやかんやとするうちに妹エリザベスの家に思いがけない長逗留をしている。その間、牧師の話に家族みんなで耳を傾けるのが午後の慣わしとなっている。ある日甥っ子たちに「アメリカの話をして」と促されたのをきっかけにチェリコークは二十年前の1766年にメイスンとディクスンの測量に同行した話を語り出す。(この時代設定も実に絶妙で、1786年はアメリカ独立宣言の前年であり、1766年は印紙法が課された翌年、独立戦争への機運が高まっていた頃である)。 以降、チェリコーク牧師がメイスンとディクソンのことを語り、幕間に聞き手がツッコミを入れるという形で物語は進行する。当然、牧師が二人のことを何から何まで網羅しているはずはなく、二人の出会いについては二人が昔を思い出して話しているのを聞いたのであり、そのほか多くの部分が牧師の想像によって語られてゆく。そういう意味でチェリコークはピンチョンの分身であるわけだ。(続く。眠いので中断)。冒頭でピンチョンのMとDへの寄り添いようが良いと言ったが、それはつまりピンチョンの分身たるチェリコークが二人のことを「正確に」というより「正直に」語ろうとしているということである。死の床にあるメイスンを妻と息子たちが取り囲むという、いつになくセンチメンタルなラストからもチェリコーク(ピンチョン)の二人に寄せる愛の深さが窺える。 また、この語り部の存在は、ストーリーテーリングの力を感じさせもする。「人間愛」だとか「実存」だとかのテーマに絡め取られない、物語られることでしか語られ得ぬものがそこでは展開されている。この物語の力について牧師自身が言及している興味深い一節がある。最後にそれを引用して感想文の〆としたい。舞台はボルチモア。奴隷商人の振る舞いに我慢がならないディクスンが(おそらくは人道的な怒りに駆られて)商人の鞭を奪い、黒人奴隷を解放したという牧師の話に聞き手のアイヴズがツッコミを入れる場面。 72章からの引用。 「証拠はない、」アイヴズが断じる。「確かに、そもそも日誌にも、何日も記載はない、―でもとにかく証拠はないのだ。」 「いやいや、」牧師が目を輝かせる、「儂らはその鞭に無限定の信頼を置かねばならぬ。物語こそが正にその存在を物語っているのだ、―これら家族伝承は、何世代にも亘り家庭内で為される校訂作業の鍛冶場に於いて完璧の域にまで高められたのであり、その末に残ったのは、それぞれの人物を巡る、厳しく鍛錬された純粋なる真実に他ならぬ、―仮令それ等の人物像が、無分別な愛から頑固な嫌悪に至る種々の感情によって、長年の間に歪められ、引延ばされていようとも。」 「無責任な装飾って奴もお忘れなく。」 「寧ろそれは、記憶という万人の義務に免れ難く付随する要素だ。我等の様々な感慨は、―我等が互いに関して如何に夢見、互いを巡って如何に誤った思いを抱いたかも、―血の通わぬ年代記と少なくとも同等の重みを持つべきなのだ。」 素朴な疑問。牧師は何日掛けてこれを語ったのか。上下巻合わせて1000ページを越える大著である。
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終わった・・・10カ月読んだ・・・ うぅ、さ、寂しい~~ 旅が終わってしまった。彼らは死んでしまった。噫!
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最後まで難解で、一行も追えない自分の読解力の無さが情けない。でも年代さえも飛び越える雑多感はタイプ。新し版でもう一度読みたい。
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