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日本の歴史(23) 帝国の昭和 講談社学術文庫1923
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日本の歴史(23) 帝国の昭和 講談社学術文庫1923

有馬学【著】

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日本の歴史(23) 帝国の昭和 講談社学術文庫1923

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 2010/05/14
JAN 9784062919234

日本の歴史(23)

¥1,496

商品レビュー

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2025/10/05

陸軍内で統制派と皇道派の政治闘争の決定的始まりは1934年に辻正信が起こした士官学校事件189 1940年9月27日近衛内閣は「万民翼賛(大政翼賛運動綱領)」を閣議決定した。この取り決めにより日本では責任者やリーダーがおらず、一貫した政策体系のない、誰も主体的決定をしない一億総...

陸軍内で統制派と皇道派の政治闘争の決定的始まりは1934年に辻正信が起こした士官学校事件189 1940年9月27日近衛内閣は「万民翼賛(大政翼賛運動綱領)」を閣議決定した。この取り決めにより日本では責任者やリーダーがおらず、一貫した政策体系のない、誰も主体的決定をしない一億総動員を始めた。印象として「上からの締め付け」に見える運動だが、国(特に田舎)の雰囲気はボトムアップだった。そのため対策室を東京會舘にしたことや、背広を着た東京の官僚が地方に周知活動に来ることへ反発が出た。「周知活動(するなら坊主頭に作業着で来い」と259 戦争の目的である「大東亜共栄圏」。しかしこれは日米開戦時に取ってつけたものである。海軍では開戦前から一流の知識人による研究会が開かれていたが「大東亜共栄圏」という言葉の弱さ、意味不明さを訴えていた287 万民翼賛を批判した数少ないもなは社会主義者と右翼だった。社会主義者は「言論の自由」を。右翼は「我々はただ天皇に翼賛するのだ。政府に翼賛などしたくない。それでは幕府だ」と。二者は共闘した305 1940年封切りの山本嘉次郎監督、エノケン主演の《孫悟空》では謎なことに、当時日本では未公開のはずのディズニーのピノキオな白雪姫の音楽と演出が使われている353 葛飾区四ツ木は豊田正子の『綴り方教室』の舞台356

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2025/02/07

日本近代史の知識がないばかりに、まったくもって恥ずべきことことであるが、日中戦争開戦後の日本は皇道派が一貫して主導し、大政翼賛会は左派の排除のもとにのみ成立し得たものとばかり思っていた。実際は、過激な皇道派は主導的な立場に立つことができず、国家社会主義的な(というよりは儒教的な市...

日本近代史の知識がないばかりに、まったくもって恥ずべきことことであるが、日中戦争開戦後の日本は皇道派が一貫して主導し、大政翼賛会は左派の排除のもとにのみ成立し得たものとばかり思っていた。実際は、過激な皇道派は主導的な立場に立つことができず、国家社会主義的な(というよりは儒教的な市場に対する国家の優越を重視する立場に見えなくもないが)革新官僚の暗躍、野心に燃えるが能力不足の軍出身大臣の面々、面子だけで動く元老、枢密院、内大臣、の誰もが決定権を握らないまま責任放棄を繰り返し、結果的に全体主義的で統制経済的と取れなくもない外形が出来上がり、そこに左派が相乗りできたといういかにも日本的なものだった。つまり左派は排除されたのでもなく妥協したのでもなく進んで協力したのである。何しろ外形的には民主主義独裁である。革新官僚が財界と対立していることも、実態はむしろその反対であるとしても、ここでは大いに有利に働いた。共産党が支持しなかったのが不思議なくらいである(そこまで能天気でもなかったということで、喜ぶべきことではあるが)。 そうした点に鑑みれば、この時期の日本政府の中枢について見るべきものはほとんど何もない(全く機能しない組織とはかくあるべしという反面教師にはなるかもしれないが)。本書はその大部分を政治史に費やしており、したがってほとんどの考察は無意味であるが、著者も指摘しているように政府の機能不全のもとで孤軍奮闘した植民地における現地学校や一般大衆の繰り広げた芸術活動や婦人団体の運動などのモダンな生活実態こそが歴史を切り開く原動力となってきたことを大いに実感できる時代であったといえる。紋切り型の軍国主義に見える標語ですら官製ではなく、名も無い個人が生み出したものであり、さらにそれを支持したのも一般の人々なのだ。この機能不全の旧態依然としたエリート集団であるところの政治と行政、そして全くの無能な司法が実質的には戦後にそのまま引き継がれ、食管法による人為的な食糧不足、労働運動の弾圧と会社による人権侵害の容認、屈辱的な外交と占領政策の継続といった現在にも引き継がれている問題の数々がこの国にとっての不幸でなかったとはとてもいうことができない(もっとも福祉分野などが稀有な人材によって微力ながらも発展を遂げたことは、日本人がいまだマッカーサーを信仰してやまない所以であろう)。

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2021/10/30

ファシズムについていろいろな本を読んでいるところ。 ナチズムには、掘っても掘っても分からない深さ、底知れない恐怖がある。一方、日本のファシズムは、掘っても、掘ってもなにもない、ある意味、玉ねぎの皮むき的な浅さがあって、これがまた違う意味で怖い。 これは、全体主義ではない。ファ...

ファシズムについていろいろな本を読んでいるところ。 ナチズムには、掘っても掘っても分からない深さ、底知れない恐怖がある。一方、日本のファシズムは、掘っても、掘ってもなにもない、ある意味、玉ねぎの皮むき的な浅さがあって、これがまた違う意味で怖い。 これは、全体主義ではない。ファシズムでもないかも?という気すらしてくるバラバラな状態。 それぞれの組織が自分の主張を繰り返して、なんら合意に達することができない状態。 そうしたなかで、相対的に権力をもっていたと思われるのは、陸軍なのだが、その権力は、国民の人気、センティメントにあっていたからなのだ。たとえば、満州事変とか、国民は、溜飲が下がるという感じで、大フィーバーなのだ。つまり、日本は、上からのファシズムであるのだが、国民的支持があるわけで、ポピュリズム的なファシズムでもあるのだ。 なので、政治側がいろいろ陸軍に命令をしても、実行されない。その陸軍も内部では上層部もバラバラだし、上層部と現場もバラバラで現場をおさえることができない。 だれもアメリカと戦争したいわけではない。それを避けようとしてる。にもかかわらず、その時々で、それぞれの人が自分の思う最悪を避けるべく行動したり、問題先送りしているうちに、戦争になってしまう不思議。 アメリカとの開戦の是非を議論するなかで、東條は、なんと「臥薪嘗胆」派で、開戦を避けようとするところから、議論に入ったとのこと。 この辺のバラバラさは、日本のファシズムに関する他の本でも記載してあるところなのだが、この本は、「日本の歴史」シリーズのなかの1冊なので、満州事変の手前、政党政治の終わりごろ、つまり昭和の初めから話しが始まるので、大きな流れがつかみやすい。 また、この本の特徴として、いわゆる政治だけでなくて、当時の言説分析とか、モダニズム的な感性とか、そうした「ソフト」面での記述が充実していて、新しい視点を提供しているところがある。 今の価値観をもって昭和初期の議論をみると「ありえない」ことばかりなのだが、その当時の文脈や言説のなかに位置づけると当時の人にとっては、それが普通だったんだ〜と思えてくる。 その当時のニューノーマルとでもいうべき言説作り、ムードづくりに、モダニズム的なインテリやマルクスの影響を受けた左翼的な人々も積極的に貢献している。 タイトルにあるように、当時の日本は、「帝国」であったのだ。つまり、いわゆる日本本土だけに収まらない外地を支配するアジアの帝国だったのだ。それが、当時の常識なのだ。 そして、日常の生活に入り込んでくる戦争のディスコース。これはまさにフーコーの「生政治」だ。人口や健康状態の管理という「生権力」がかんたんに「死の権力」に転換するというフーコーの主張が、理論上の問題ではなくて、身にしみてくる。 こうしてみると、日本がアメリカとの開戦に踏み進んだのは、なんだか必然であったかのようにも思えてくる。 と同時に、きわめて、微妙な文脈とか、だれがそのときトップだったか、国際情勢の変化とか、いろいろな要素のなかで、「国策」の意思決定を先送りしているうちに、なぜか勝てないことがわかっている戦争に踏み込んでしまったというわけだから、実は日本は、日米戦争に突入しないまま第2次世界大戦期をやり過ごすという可能性もあったわけだ。 そして、こうしたプロセスは、今でも、「あるある」なんだと思う。

Posted by ブクログ