商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 日本放送出版協会 |
発売年月日 | 2010/03/08 |
JAN | 9784140883167 |
- 書籍
- 新書
大名行列の秘密
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大名行列の秘密
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商品レビュー
4
5件のお客様レビュー
『一路』と同時進行で読んでいた本。 大名行列をする側、される側、悲喜交々ですね。 あっていまったら困る旅人たちに町民たち。 雨と川に行程を阻まれ、大出費。 大名行列用の仕事で稼ぐ・・・や~面白かった! 将軍家茂の行列、『一路』の後日譚みたい(^^; 絵図入りなのもわかりやすかった...
『一路』と同時進行で読んでいた本。 大名行列をする側、される側、悲喜交々ですね。 あっていまったら困る旅人たちに町民たち。 雨と川に行程を阻まれ、大出費。 大名行列用の仕事で稼ぐ・・・や~面白かった! 将軍家茂の行列、『一路』の後日譚みたい(^^; 絵図入りなのもわかりやすかったです。
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参勤交代の目的たるや、幕府の威光と諸大名の序列を天下に知らしめ、諸大名を恭順させ、諸大名の余力を奪うこと。政治的にはそうなのだが、そのことが江戸時代の社会、経済のシステムにいかに大きく影響していたのかを確認した。
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大名行列といったら、長らく「てんてんてんまり」の「鞠と殿様」の歌のイメージしか持っていませんでした。 最近になって小野ナツメ氏の『つらつらわらじ』を読んで、少し理解が深まりましたが、どちらかというと、行列が過ぎるまで土下座を強いられる民衆の大変さばかりが 印象的で、行列に携わる...
大名行列といったら、長らく「てんてんてんまり」の「鞠と殿様」の歌のイメージしか持っていませんでした。 最近になって小野ナツメ氏の『つらつらわらじ』を読んで、少し理解が深まりましたが、どちらかというと、行列が過ぎるまで土下座を強いられる民衆の大変さばかりが 印象的で、行列に携わる人の苦労を考えたことはありませんでした。 絵巻物のような長い絵が掲載され、人物の持ち物で、その役割を図解しています。 鉄砲持ちや弓持ちが駕籠の周りに配備されています。 長道中の娯楽は鷹狩で、そのための人員や、駕籠や馬の予備を運ぶ人々も描かれていました。 街道は、一日中大名行列が続いていたのかと思っていたら、実は150人から300人くらいの列だったとのこと。 思ったよりも少ない印象です。 大名行列は、国の民衆や、江戸に入ってから、その殿様の威光をアピールすることも重要だったため、領土内と江戸では、大勢の行列同行者たちが駆り出されたとのこと。 国境まで行列に加わり、そこからUターンして家に帰る者も多かったそうです。 なので、途中の街道では、さほど行列は長くなかったと知りました。 逆に、江戸内では、朝には各殿様たちが将軍の御前に向かうため、今のようなラッシュが起こっていたそうです。 加賀藩主前田家の作ったダイヤグラムの精緻さには、驚きました。 川留めなどの天災の際の経路変更に備えて、さまざまなシミュレーションが取られていました。 よほどの理由がない限り到着が遅れることは許されないためとのことで、国の殿様といえども幕府の巨大な権力には逆らえなかったことがわかります。 大名行列の主人公は、駕籠の中のお殿様。 ただ殿様も、ふんぞりかえって威張っているわけではなく、狭い駕籠の中に押し込められ、何日も窮屈を強いられて観光しなくてはならない、文字通り我慢大会だったことがわかります。 また、殿様は決して好き嫌いを口に出せなかったとは知りませんでした。その一言で、料理人の責任問題に発展し、首が飛ぶことになるからです。 残しても同じ事態となるため、自由な感想も言えずに、黙って残さず食べるしかない、トップの悲哀が伺えました。 さらに、行列の最中に、ほかの大名行列や勘定奉行と道中でかち合う場合もあります。 たいていは、家格で引く側が決まったそうですが、両家とも国高は同じくらいで外様大名として家格はほぼ同格の場合には、一番たがいに気を遣ったとのこと。 例として、江戸から国に戻る米沢藩主上杉家と江戸参勤の秋田藩主佐竹家の行列がすれ違った時のことが語られており、事を荒立てないために双方が細心の注意を払ったことが見て取れました。 大名の格差は歴然としており、最高級である葵の紋所を持つ御三家とかち合うことを、大名たちは何よりも避けたそうです。 すれ違いなら調整できたとしても、自分の領地を通過する時には、避けることはできないというジレンマ。 水戸家の行列が土浦を通るとき、通過を許可する側ながら、土浦藩は全員土下座しなくてはならなかったという話は、なんとも気の毒に思いました。 江戸時代にシュリーマンが来日していたことは、最近別の本で知りましたが、家茂の行列を目撃したそうです。 幕府は、はじめは国際問題に発展することを恐れて禁止したものの、最後には海外へのアピールを優先させて、許可したのだとか。 当時、ほとんどの国民は見ることが叶わなかった将軍の顔ですが、外国人であるからこそシュリーマンは見られたということです。 ほかの国では見られない独特の決めごと、大名行列。 大がかりなだけに、全ての人にとって大変なイベントでしたが、周辺の街道の経済活性化が促されたという点は、デメリットだけではなかったと考えられます。 地方の殿様にとっては莫大な出費でしたが、自国に閉じこまらずにほかの国を知ることでバランスのよい統治ができ、有意義でもあったことでしょう。 それにしても、ここまで難儀を強いて、人や国を動かした徳川幕府の中央集権力に、改めて恐れ入りました。
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