![現代語訳 吾妻鏡(7) 頼家と実朝](https://content.bookoff.co.jp/goodsimages/LL/001625/0016253640LL.jpg)
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 吉川弘文館 |
発売年月日 | 2009/11/10 |
JAN | 9784642027144 |
- 書籍
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現代語訳 吾妻鏡(7)
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現代語訳 吾妻鏡(7)
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1201年~1213年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第十七 建仁元年(1201)正月~12月 但し、1月までは正治三年。2月に建仁元年に改元。 建仁二年(1202)正月~12月 建仁三年(1203)正月~9月 ・吾妻鏡 第十八...
1201年~1213年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第十七 建仁元年(1201)正月~12月 但し、1月までは正治三年。2月に建仁元年に改元。 建仁二年(1202)正月~12月 建仁三年(1203)正月~9月 ・吾妻鏡 第十八 建仁三年(1203)9月~12月 元久元年(1204)正月~12月 但し、1月までは建仁四年。2月に元久元年に改元。 元久二年(1205)正月~12月 建永元年(1206)正月~12月 承元元年(1207)正月~12月 但し、9月までは建仁二年。10月に承元元年に改元。 ・吾妻鏡 第十九 承元二年(1208)正月~12月 承元三年(1209)正月~12月 承元四年(1210)正月~12月 建暦元年(1211)正月~12月 但し、2月までは承元五年。3月に建暦元年に改元。 ・吾妻鏡 第二十 建暦二年(1212)正月~12月 ・吾妻鏡 第二十一 建保元年(1213)正月~12月 但し、11月までは建暦三年。12月に建保元年に改元。 本書のほぼ三分の一をを占める分量の注、有り。 付録は、時刻表/方位、平泉復元地図。 大倉御所概念図、鎌倉時代の鎌倉。 梶原景時の与党による反乱がある一方で、蹴鞠三昧の頼家の姿。 千葉常胤、新田義重等の重鎮の死去。阿野全成の誅殺。 比企氏の滅亡は何やら改竄された感じが漂っている。 次いで、頼家は幽閉され、近習たちの遠流、 そして頼家23歳での死はその事実しか記録されていない。 1203年、実朝征夷大将軍に。12歳で元服。 畠山氏の滅亡からの北条時政の失脚と、平賀朝雅の誅殺。 ついに北条義時が表舞台での権力を握る。 第二十一は和田合戦の記録で圧倒の量。 重鎮の逝去の他、出家、誅殺、遠流、一族滅亡と、 血腥い権力争いの果ての、幕府上層部の刷新ですね。 北条氏だけでなく、中原(大江)広元や三浦義村、二階堂氏、 三善康信等の名前も頻繁に登場するようになりました。 反面、頼朝の親族の記事の少なさ。頼家の死はほんの僅かな 記録だし、数年前に配流された範頼は皆目出てきません。 実朝は和歌に心を寄せながらも政治にも参画し始めました。 その前後から、朝廷との遣り取りも増加し、 こちらも後鳥羽院の動きが活発になり始めています。 また、1208年の三善康信の家火事で、文庫に収蔵されていた 累代の文書が灰燼に。せめて「吾妻鏡」編纂時まで、 これらの文書があったらと残念に思ってしまいました。
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頼家は犬を飼っていたのか。 建仁三年(1203)年正月少ニ日 「今年中に関東で事件が起こる、若君(一幔)が家督を継いではならない〜」と大菩薩から巫女を介して託宣があった。 のに、蹴鞠してるw 1203年九月十五日 阿波局が尼御台所に「千幔は時政んちにいるけど、牧の方は何かにつ...
頼家は犬を飼っていたのか。 建仁三年(1203)年正月少ニ日 「今年中に関東で事件が起こる、若君(一幔)が家督を継いではならない〜」と大菩薩から巫女を介して託宣があった。 のに、蹴鞠してるw 1203年九月十五日 阿波局が尼御台所に「千幔は時政んちにいるけど、牧の方は何かにつけて笑顔の中に害心が含まれており、守役として信頼できない。」って言って、義時、義村、結城朝光に迎えに行かせた! 1213年5月21日 和田合戦の後、大地震が起きた。 その後も地震頻回。 頼家は蹴鞠、実朝は和歌。
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