商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2009/10/28 |
JAN | 9784101145020 |
- 書籍
- 文庫
残光
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残光
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商品レビュー
3.5
6件のお客様レビュー
最晩年の一作。 ここまで文章がこんがらがると、読み進めるのに使うエネルギー負担が面白さに勝ってしまった。 表題の通り、まさに作者の頭の中の刹那的な思考・記憶がそのままパッケージされていて、文学的に重要な一冊だとは感じる。
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出だしに施設に入った小島さんの奥さんのことについて触れられる箇所がある。その後、小説は自由自在な小島さんの語りによって展開されていくのだけれど、何となくまた奥さんのことで終わるのではないか、という予感めいたものがあった。事実、そうなって「ああ」と思ったのだけど、こういう終わり方を...
出だしに施設に入った小島さんの奥さんのことについて触れられる箇所がある。その後、小説は自由自在な小島さんの語りによって展開されていくのだけれど、何となくまた奥さんのことで終わるのではないか、という予感めいたものがあった。事実、そうなって「ああ」と思ったのだけど、こういう終わり方をしなくても「ああ」と思ったのかもしれないなと考えた。いろんな終り方を事前に想像していたと思う。たまたまその一つと合致しただけなのだけれど、どこか感慨深いものがあった。「残光」という題通り、自分の中のどこかにささやかな光がぽっと灯るような。 小島信夫さんの最後の作品。 語りながら話の主体も、話の内容も少しずつ、もしくは大きくずれていく。意図的に書いている部分と思うにまかせて筆を走らせた部分と両方あるのかな、などと思いながら読んでいた。どんな読み方もできそうだけれど、どこか奥さんのことが念頭にありながら書いているのではないかと、個人的にずっと思っていた。施設にいる小島さんの奥さんは、もうすでに小島さんのことを認識できていない。言葉が通じないのだ。しかし言葉が通じなくても、小島さんの奥さんには見えている世界がある。その世界の言葉で、小島さんと話をしようとする。そのことはこの小説全体と似ている気がするのだ。日常の文法を逸脱する方法でコミュニケーションを試みる。それは衰えゆく身体とリンクしている。並の人なら、この状態で言葉を紡ごうとしないのではないか。これは大変な力業ではないかと思う。老いたりとも、身体の底に残っている強靭な意志のような力を感じる。この作品で小島さんは奥さんとコミュニケーションできたのだろうか。 小島信夫さんの若い頃の小説も読みたくなる。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
ボケたおじいちゃんの言葉がそのまま文体として写し出されているとしたら、これはすごいことだけど、小島信夫という人のことだからひょっとしてすっとぼけてる可能性もなくはないし、しかしそれにしたってこの忘れていく感じが追体験できてしまう文体には驚く。 小さなところをぐるぐる回りつつ、物語らしきものはまるで展開しない。なんか、書けといわれてから書いている、そういえばあの公演で――みたいな話が何度も何度も繰り返し出てくる。ふと、自分の賞の話を思いだして書く。ところが記憶が曖昧だから、本当にそう言ってたかわからない。公演の準備で、自分の小説を読み返したことを書く。長々と引用する。書き写すと自分で面白いなと思うが、どこが面白いのかわからない、と投げる。あるいは昔どこかで読んだ文章を、思い出せる範囲で書いてみたりして、だけど最後には「忘れた」で締めてしまう。そんな中に、手が痛くなったり眼が辛かったりして書けない、読めない、という告白が紛れ込んだりもするし、本当にボケてしまった妻の話が挿入されてきたりする。取りとめもない、そしてまとめようもない、そういう小説なのだ。 だけどそういう小説だからこそ、今読んでいる時間の重み、現在進行形の時制の厚みに、却って圧倒されてしまう。回想ですら徹底した現在進行形なのは、記憶が不確かなために、回想するという行為のレベルで書かなければならないし、そう読まれるほかないからなのだ。そしてまた、だからこそ読んでいる今、読むという行為そのものが密度を増し、不意に挿入される妻の話に、どうしようもなく心が動かされたりするのだ。 これが遺作となった、というのもある意味では納得で、この先はもう想像不可能な領域、というか、ここでもう想像不可能な領域に一歩足を踏み入れた、という感じがする。この先に行こうとしたら書き手も読み手も死ぬしかないんじゃないか、ということをふと、思ったりしました。
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