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音楽家はいかに心を描いたか バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト 放送大学叢書003
1,780円
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 左右社 |
発売年月日 | 2009/03/30 |
JAN | 9784903500126 |
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音楽家はいかに心を描いたか
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バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの楽曲のアナリーゼをしたもの。 読んだのが数週間前なので、内容がおぼろげになってしまったが、意外とあっという間に読めてしまったのを覚えている。楽曲を知らないと読むのがちょっと辛かった記憶と、よくここまで楽譜から読み取ろうとする...
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの楽曲のアナリーゼをしたもの。 読んだのが数週間前なので、内容がおぼろげになってしまったが、意外とあっという間に読めてしまったのを覚えている。楽曲を知らないと読むのがちょっと辛かった記憶と、よくここまで楽譜から読み取ろうとするんだなあという、そういう感想を持った気がする。 以下は印象に残った部分のメモ。楽譜のアナリーゼがすごい、という印象が残っているが、例えばバッハの《マタイ受難曲》で、「二人の証人の偽証ぶりを揶揄しながら、偽証に基づいてイエスを断罪した審問の不当性を主張した」(p.17)というのがアルト声部とテノール声部の旋律からわかる、というのがすごい。それから楽譜そのものだけではなく、シューベルトの歌曲集《冬の旅》の歌詞が分析されていて、その中でも「菩提樹」という歌の中の「帽子が飛び去ったが、振り返ろうとしなかった」ということの意味の解説も面白かった。「この時代、屋外に出る時には、帽子(もしくはこれに代わる何らかの被り物)をかぶるのが当たり前であった。裸髪で人前に出るということは、それ自体異常な行動であった。」(p.137)ということで、こういう背景を知らないと、全然この歌詞が解釈できないよなあと思う。思っている以上に歌詞の内容を把握するというのは難しいことなのかもしれない。西洋音楽史ではハイドンに代表される「宮廷音楽家」としての職業があるが、この仕事は「当時、宮廷音楽家を従僕並みに扱うことは、一般的だった」(p.39)というのもイメージと違っていて驚いた。他にも「歌劇の作曲は、完成後の実入りは大きいが、作曲に没頭している間の収入は減少する。」(p.42)というのもリアルな話。モーツァルトの困窮ぶり、というのは気の毒なほど。あとはモーツァルトの演奏会が「気の遠くなるような長いプログラムであるが、当時の演奏テンポから考えると、演奏時間の比較はいくぶん割り引いて考えた方がよいのではないか、と思われる。」(p.79)というのも新しい発見だった。同じく音楽そのものに関することとしては、「音楽作品が『拍子を持った音楽』でもっぱら創作されるようになったのはバロック時代からであり、しかも、音楽が、『拍』を単位としてではなく、『拍』を超えた長さの動機を積み重ねて構築されるようになったのは、つぎの古典派時代からである。」(p.109)だそうだけど、これは実際に音楽を聞いて確かめてみたい。同じ拍の話で、例えば「三拍子の小節二つは、二拍子の小節三つに姿を変える」(p.103)ように表現する技法を「ヘミオラ」というらしい。こういう手法がベートーヴェンの「英雄」第一楽章で使われているらしい。面白そう。もう1つ楽典的な話で、「西洋中世では『時間単位は分割される』という表象の下に音符の分割関係が考えられてきた点である。つまり、この時代には、音符は割り算(除算)ないし引き算(減算)的発想の下で表象されていたのである。今日の私たちは、ややもすると音符を足し算(加算)ないしは掛け算(乗算)的に考えてしまいがちであるが(たとえば音符に付点を付けると、音価は『一・五倍になる』と考える)、当時の表象法は逆であったことには留意する必要がある。」(pp.171-2)も、よくわからないけど面白そう。三連符みたいな感じ? 見た目の読みやすさとは逆に、もう少し音楽について色々勉強してからでないと、ちゃんと理解するのが難しかったなあという気がする。(22/08)
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