![戦争論理学 あの原爆投下を考える62問](https://content.bookoff.co.jp/goodsimages/LL/001600/0016007054LL.jpg)
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 二見書房 |
発売年月日 | 2008/09/01 |
JAN | 9784576081212 |
- 書籍
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戦争論理学
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戦争論理学
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商品レビュー
3.3
3件のお客様レビュー
論理と事実だけをもとに原爆投下の是非を検討するという試み自体は面白いし、ところどころ論理学の用語説明なんかもあって勉強にはなるのだけど、そもそも「無謀な試み」である感は否めない。 「事実」が何なのか、というのがこの問題での最大の論点であるわけなのだから、「もし以上のことが事実だと...
論理と事実だけをもとに原爆投下の是非を検討するという試み自体は面白いし、ところどころ論理学の用語説明なんかもあって勉強にはなるのだけど、そもそも「無謀な試み」である感は否めない。 「事実」が何なのか、というのがこの問題での最大の論点であるわけなのだから、「もし以上のことが事実だとすると、こういう結論が論理的に導かれる」という留保は必要だと思う。 まあ論理的に考えた結果、筆者が感情的に抱いていた直観とは逆の結論を導きざるを得ず、非常に不愉快だったとするあとがきは、論理学者の面目躍如というか、とても知的に誠実な感じがして好感が持てた。
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「原爆投下は正当だったか?」という問いをめぐる、もんのすごい頭を使い、そして勉強になる本である。正直、僕の頭では今回は著者の議論に圧倒されてしまい、批判的に考える余裕があまりなかった。「要・再チャレンジ認定」の本。 僕がこの本を手にとった動機は、原爆投下50年の1995年に起き...
「原爆投下は正当だったか?」という問いをめぐる、もんのすごい頭を使い、そして勉強になる本である。正直、僕の頭では今回は著者の議論に圧倒されてしまい、批判的に考える余裕があまりなかった。「要・再チャレンジ認定」の本。 僕がこの本を手にとった動機は、原爆投下50年の1995年に起きたスミソニアン博物館原爆展の展示問題に関心があったから。僕自身は「原爆投下は不当である」という立場であり、どちらかというと「明らかに不当なはずの原爆投下をそれでも肯定するアメリカ人の心理と論理」に興味があって、その読書の延長で何となくこの本をとった。しかし、どつぼにはまってしまったのである。 著者は、「原爆投下の正当性」について、純粋に論理のみで考えていく。そして、否定派からの論題を一つ一つとりあげ、それに対して一つ一つ答えて行き、論理的には原爆投下は正当であるという結論を導いていく。これが、僕にはなかなか反論しがたい。史料的根拠に乏しいので歴史の事実認定問題では争えると思うのだが、仮にここに提出された資料が全て妥当なものだとすれば、「原爆投下は正当であった」ことを認めざるを得なくなってくる。それくらい、反論が次々と砕かれていくのだ。 誤解を招かないように書いておくと、この本は原爆投下というトピックを材料に「論理的に考える」ことを実践する「論トレ本」であって、決して筆者が「原爆投下は正当だった」という結論ありきで書いている本ではないと思う。どちらかというと、「原爆投下肯定論」という読者の感情的反発を招きやすいスタンスをあえてとりあげることで、読者が必死に反論を考えるような仕掛けにしているのだ。 そして、本書の中でも、特に面白いのは後半だ。ここでは、「仮に原爆投下が正当だったとしても、そう発言することは効用の点から言って正当ではないのではないか?」という現代社会における効用の問題を取り上げたり、「被爆して死んだ人の悲惨な写真を見ても、あなたは原爆が正当だったと言えるのか。それは人間への冒涜だ」という感情的な反発をとりあげ、これに対してどう論理的に答えるべきか、という問題を追及しているからだ。ここらへんはなかなかスリリングで、原爆投下の正当性という問題を超えて、論理とは何かという問いにまで片足をつっこんでいる。 というのも、筆者はここでこんな感じの議論を展開するのだ。 「原爆の死者数は、すでにわかっている。したがって、新たに死者の写真を見たところで、その写真によって美的情報が付加されただけのことであり、実質的な意味情報は写真を見る前と何も変わっていないはずだ。写真を見ることで判断を変えるような姿勢は、知的な論理構造を備えていない姿勢であり、かえって危険をもたらす」(大意) ・・・わからんでもないんだけど、本当にそうなのだろうか?僕はここで、「論理って一体何なのだろう?」ということを考えざるをえなかった。たしかに、感情に流されて論理的に思考できないことは危険だ。でも、論理的に思考できることは、常に最優先されるべき「正しい」ことなのだろうか? 僕は功利主義者の議論を読むと、「この人の議論はとても頭が良くって論理的で、反論できないんだけど、でも感情的に受け入れがたい」という感想を抱くことが多い。この著者もけっこう功利主義的で、すごく論理的なんだけど、「本当にこれでいいんだろうか」というモヤモヤを、読後の今、とても感じてしまうのだ。 というわけで、現状、僕の手には余る一冊ではあるが、この本が極めて刺激的な本であることは間違いないと思う。僕が社会科の教員なら、いつかこれをベースに歴史ディベートやロールプレイの授業を作ってみたくなるところ。ぜひ読んでみて下さい。お薦めです。
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原爆や無差別爆撃と精密爆撃の相違をアブリオリ的検証する 正しいアプローチだけれど、くどいという感じは否めない、でも教材としては面白い 東京大空襲の考察は近代日本には大事なことであるとかんがえている また歴史的文脈や恣意的な文脈を考察する為にもいい本かなと考えています
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