商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 福村出版 |
発売年月日 | 1981/11/20 |
JAN | 9784571300271 |
- 書籍
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弓と禅
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弓と禅
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商品レビュー
4.3
30件のお客様レビュー
読み始めた時は、固い文章だなぁ…と思ったけれど、いつの間にか没頭していた。 私も何か道と名のつくものを、先生について習い、この無心の境地を体験してみたくなる。 ただコツを教えてもらって、短期間で上達させるのではなく、(「尋ねないで稽古しなさい」と言われ続け笑)時間をかけてしか得ら...
読み始めた時は、固い文章だなぁ…と思ったけれど、いつの間にか没頭していた。 私も何か道と名のつくものを、先生について習い、この無心の境地を体験してみたくなる。 ただコツを教えてもらって、短期間で上達させるのではなく、(「尋ねないで稽古しなさい」と言われ続け笑)時間をかけてしか得られないその精神状態というものの貴重さを感じた。 巻末、翻訳者稲富栄次郎の言葉(P163) 本書は考え方によっては、単に博士一個人の魂の記録ではなくて、それは正に、論理を基調とした西洋の哲学と、行を基調とした日本的芸道との対決の記録であるともいうことができるであろう。その中では、西洋的な思索法が、よく日本的修練を媒介として、超論理の世界、無の世界に飛躍しているとも言い得れば、逆にまたドイツ的論理主義が、ついに日本的神秘主義の前に、甲を脱いでいるともいうことができるであろう。ゆえに本書の中には、到るところ西洋的思惟と、日本的行との間に散る激しい火花が展開している。かように見てくると、本書の持つ意味は、単に一外国人の弓道修業の報告書につきるのではない。それは東洋と西洋という相対立する二つの文化の、対決と統一との問題に対して、最も根本的な示唆を与えるものといわねばならない。しかもそれが、単なる机上の空論や感想ではなくて、身を挺しての修練と体験とを通じて達成せられているところに、本書のみに帰せらるべき大きな存在意義があるのである。
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日本の伝統的な芸道の根底に流れる禅の精神。 これらの目的は奥義を理解することにあって決してスポーツ的意義ではない。 この、神秘主義的な実感の世界を、論理的立場の哲学者である著者が実際に6年の修練を経て感じた精神的側面を叙述した本作。 当たり前に神秘的な感覚の記述が多くて、共感性が低かった。 けど呼吸法とか、それによってもたらされる精神現在の感覚をうまく言語化していて、いわゆる「ゾーンに入る」ことを筋道立てている。 実際に6年の修練をしないとこの精神現在には至らないと思うと、長えなってなる。
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ドイツ人の哲学者オイゲン・ヘリゲルが、弓道の修行を通して「禅」の本質に迫った過程を描いた叙述。 禅の本質とは「無心であること」であり、無心に至るための「道」(精神修行)として弓道が位置づけられると筆者は言う。精神統一、呼吸法、型といった形式が弓道において重視されるのも、それが無心に至るための一連の流れだからだと理解できる。 筆者を指導した師である阿波研造が、無心に達した状態において、矢を射るのは射手ではなく「”それ”が射る」と表現していたことは非常に興味深かった。 また、無心ということの真理は、決して言葉では伝えられるものではなく、経験したもののみにしか分からない。これは禅宗における”不立文字”という言葉にも象徴される。 このようなスピリチュアルな世界が本当にあるんだと思わせてくれる本だった。 無心についての深い考察や体験が書かれたこの叙述を読んでから、現代社会に目を向けてみると、自分も含めて今の現代人は色々と考えすぎなのかもしれないと思った。 頭で考えるばかりで、呼吸することを忘れ、感じることを忘れてしまっているような感じだ。 しかし、こうして記号の世界ばかりで生きていると、物事の真理にはたどり着けないのかもしれない、と最近よく思う。 無心になることは簡単ではない。それは阿波研造の言葉からも容易に想像がつく。 "あなたは無心であるように努力しています。無心になろうと意図するから、それ以上進めないのです。" たとえ無心になることはできなくとも、何も考えずにゆっくり呼吸だけをする時間を意識的に作っていきたいなと思った。 難解な文章も多く、決して読みやすいとは言えないが、どこか惹きつけられるようなそんな魅力を持った本だった。また読み返してみようと思う。
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