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敗戦秘史 占領軍慰安所 国家による売春施設 Shinhyoron Selection61
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新評論 |
発売年月日 | 2008/05/31 |
JAN | 9784794899392 |
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敗戦秘史 占領軍慰安所
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敗戦秘史 占領軍慰安所
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太平洋戦争終結後、進駐してくる米軍に対してまず最初に行ったのは女を用意する仕事だった。 というのは言い過ぎかもしれないが、ともあれ8月15日に玉音放送でもって戦争が終結し、その直後、18日か19日には警察庁が料理飲食業組合(今でいう性風俗店)を呼びつけ、占領軍向けの慰安施設...
太平洋戦争終結後、進駐してくる米軍に対してまず最初に行ったのは女を用意する仕事だった。 というのは言い過ぎかもしれないが、ともあれ8月15日に玉音放送でもって戦争が終結し、その直後、18日か19日には警察庁が料理飲食業組合(今でいう性風俗店)を呼びつけ、占領軍向けの慰安施設を準備するよう申し付けた。そして23日に特殊慰安施設協会、後のRAAが設立される。10日も経っていないのだから結構なフットワークである。 RAAの稼動期間は案外短くて、アメリカ本土での反対運動や性病の蔓延等により翌年3月27日にはすべての慰安所が閉鎖される。だがこの半年ちょっとの間に最大7万人もの女性が動員された。「以前から娼婦だった者を優先に」などという話もあったが実際のところ、娼婦ではなかったが他に仕事がなくてやむを得ず参加した女性、事務職だと思い応募したのに行ってみたら接待を命じられるなど意に沿わない性行為を強要された女性もいて、あまりの苦痛に自ら命を絶ってしまうこともあった。 そして閉鎖時点では約5万5千人いたというが、一度こうした「醜業」に身をやつしてはもはやまっとうに働くことなどできないと、そのまま街娼になる者も多かった。 一方で決まった相手に気に入られて、そのまま国際結婚するものもいたにはいた。言葉や文化の壁は高く、当時まだ「混血児」と呼ばれていたハーフの子供に対する偏見も根強く、その後も幸福な人生を送れたものはあまり多くないという。 本書の特徴としては著者自身が現場に取材におもむき、当時の関係者等に聞き取りを行っている点である。そのため個別の経験談になっていて網羅的ではないのだが、それはまた別の書籍にゆだねればよかろう。統計や数字からは見えない、個人の生き様がそこにある。 とはいえデータもそれなりに掲載されていて興味深い。RAAの閉鎖(オフ・リミッツ)前には全国で一日40件程度だった米兵による婦女暴行事件が、閉鎖直後には320件まで跳ね上がったそうで、設置前の数字がないのでなんとも比較の難しい所だが、一応は「防波堤」として機能しているといえなくもなかったのだろうか。そうでも思わないと報われない、という関係者の声もあった。 戦時中に日本人が大陸や南洋で行ってきたことに比べれば、という論は当時もあったらしく、だからといってどちらも被害者は女性であって主導者たる男性は自分たちの都合で生きてきた。日本人の人権意識の薄さについては別の書籍で触れたのでここでは割愛しよう。 RAAの設立に直接関わったのは先述の通り警察庁であるが、その背景には近衛文麿がいたという。近衛がなぜRAAを思い立ったかはわからないが、日本軍自身の海外の振る舞いを考えたのかもしれないし、日本の村には役所や銀行の職員が調査などにやってきて泊まることになると村長あたりが妻や娘を差し出す風習も一部にあったからそういう「おもてなし」の心だったのかもしれない。いずれにせよそこで従事する者たちのことは一切省みることはなかったであろう。
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