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大量虐殺の社会史 戦慄の20世紀 MINERVA西洋史ライブラリー76
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | ミネルヴァ書房 |
発売年月日 | 2007/12/10 |
JAN | 9784623045389 |
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大量虐殺の社会史
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虐殺の歴史的事実は容易に明かされないという特質を持っているが、その原因の第一は虐殺を直接・間接に実行する国家権力は虐殺後虐殺後も史料を隠蔽しようとすることにある。文献的史料は残りにくいし、残った場合にも公開されないことが多い。史料の公開を求めていくことは極めて重要であるが、他方で...
虐殺の歴史的事実は容易に明かされないという特質を持っているが、その原因の第一は虐殺を直接・間接に実行する国家権力は虐殺後虐殺後も史料を隠蔽しようとすることにある。文献的史料は残りにくいし、残った場合にも公開されないことが多い。史料の公開を求めていくことは極めて重要であるが、他方でオーラル・ヒストリー(聞き取り)が重要な作業になることは間違いない。オーラル史料も文献的史料と同様に史料批判が必要であることは自明のことであるが、それを文献的史料とクロスさせて、さらに遺品や遺跡、回が、写真などの物的証拠ともクロスさせて事実を確定していくことがなされねばならない。第一の原因は隠蔽が露骨で明白であるのに対して、第二の原因はそれほど明白でなく、紳士な研究者も陥りやすいものであるだけにより慎重さが必要である。その第二の原因とは、虐殺は戦争時に怒ることが多くみられることから、虐殺の原因が戦争一般に解消されてしまい、結局、虐殺の責任の所在が明らかにならない点にある。第三の原因としては、ポスト・モダンやそれに類似する方法によって研究するので虐殺の事実が明らかにされない、ということがある。文献的史料やオーラル史料などによって事実を明らかにするというきわめて常識的な実証的方法は、最近特に懐疑主義者によって批判されることがある。それは「記憶の歴史学」、「表象の歴史学」、「言語論的転回」などなどの携帯をとって表れる。もとより記憶や表象や言語は研究対象とすべき歴史現象であるが、その扱いを誤ると歴史的事実の存在を否定し、ひいては研究対象になりうるのは記憶や表象であり、文献的史料によって事実をとらえられるとするのは「素朴実証主義」にすぎないとして非難の対象とされることになる。
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大量虐殺のほとんどは、民族浄化という側面を持つ。第二次世界大戦後の大量虐殺の多くは「内戦」にまぎれて行われ、両者は一体となっている場合も少なくない。実際に、大量虐殺を行った政府/組織の多くは、「戦時行為」であったのだから個人の責任を追及するべきではないと主張している。 しかし、...
大量虐殺のほとんどは、民族浄化という側面を持つ。第二次世界大戦後の大量虐殺の多くは「内戦」にまぎれて行われ、両者は一体となっている場合も少なくない。実際に、大量虐殺を行った政府/組織の多くは、「戦時行為」であったのだから個人の責任を追及するべきではないと主張している。 しかし、たとえばルワンダにおける大量虐殺は当初、フツ族とツチ族間の「部族紛争」という捉え方をされていたと記憶している。言葉のイメージとしては内戦>民族紛争>部族紛争とあり、局所的かつ守旧的な紛争ととらえられかねない扱いであった。大量虐殺の常として正確な死者数が把握できていないものの、たった3ヶ月で80万人が虐殺されたとの報告もある。 この紛争は確かにフツ族とツチ族の間の諍いが発端であるが、それは両族間の伝統的な「ミゾ」ではなく、権力の集中と支配構造の強化あるいは経済の寡占を目指して行われた、一方的な虐殺であった。むしろ全近代においては、フツ族とツチ族はそれぞれの棲み分けがなされており、民族間の対立はみられなかった。それが植民地支配により、宗主国の手によって民族間の対立が誘導されたのである。 たとえばカンボジアでのポル・ポト派による100万人をこえる大量虐殺は、虐殺のみならず強制労働も並行して行われている。かつては米の輸出国であったカンボジアは、その生産量が激減し、ポル・ポト派政権による原始的で無謀な農業政策が行われ、過酷な労働と劣悪な生活条件によって多くの命が失われた。たしかにすべての近代文明を否定し、原始的な道具による単純労働での開墾作業は想像を絶するものであるが、そもそもベトナム戦争によるアメリカ軍のカンボジア全土への空爆で、カンボジアの耕地は壊滅定な被害を受けていたのである。 大量虐殺については、その多くが「民族対立」という表面的な部分のみクローズアップされる。もちろん、いかなる理由があろうと大量虐殺や民族浄化が許されるべきではない。しかし、そこにはかならず先進国のエゴや利権がからみ、それが紛争を引き起こし、紛争の調停を長引かせていることを我々は知るべきである。
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[ 内容 ] 「大量虐殺の20世紀」はまさに“戦慄の世紀”である。 本書は、ジェノサイドのみならず、国家間の戦争行為とそれと連動して生じた虐殺をも含む「大量虐殺」の歴史と現実に迫るものである。 戦争と虐殺の正当化、手段としての科学技術の使用、国家権力の作動という3つの問題群の相互...
[ 内容 ] 「大量虐殺の20世紀」はまさに“戦慄の世紀”である。 本書は、ジェノサイドのみならず、国家間の戦争行為とそれと連動して生じた虐殺をも含む「大量虐殺」の歴史と現実に迫るものである。 戦争と虐殺の正当化、手段としての科学技術の使用、国家権力の作動という3つの問題群の相互関連性を、広義の「社会史」という視角から考察する。 戦争と虐殺という過去の事実を明らかにし、その真相と原因を追究することによって、戦争と虐殺が二度と生じない諸条件を創出することをめざしている。 それは、20世紀に戦争と虐殺の被害を受け、犠牲となった人たちが現代に生きる者に発信したであろうメッセージに応える作業である。 [ 目次 ] 大量虐殺の二〇世紀 トルコにおけるアルメニア人虐殺(一九一五~一六年) ドイツにおけるユダヤ人虐殺(一九四一~四五年) 「クロアチア独立国」におけるセルビア人虐殺(一九四一~四二年) 韓国・老斤里における虐殺(一九五〇年) 九・三〇事件(一九六五年)とインドネシア共産党撲滅 カンボジアにおける虐殺(一九七五~七九年)―撮影日誌 クロアチア「祖国戦争」と「民族浄化」(一九九一~九五年) ルワンダにおけるジェノサイド(一九九四年) グアテマラにおけるマヤ民族虐殺(一九六一~九六年) メキシコ・アクテアルにおける虐殺(一九九七年) 現代に生き続ける医学の歴史的犯罪 虐殺の研究とその克服 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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