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ふらふら日記 いまんとこ不治の病
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ふらふら日記 いまんとこ不治の病

やまざきたけし【著】

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ふらふら日記 いまんとこ不治の病

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 二見書房
発売年月日 2007/10/10
JAN 9784576071558

ふらふら日記

¥1,650

商品レビュー

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2010/04/29

この本をいつどこで知ったかは忘れてしまったが、そのうち読んでみたいと思っていた。こないだ『逝かない身体』を読んだいきおいでリクエストしたら、近所の図書館に所蔵のないこの本はヨソからの相貸できた。 母が診断されていたSCDと同病(型はちがうが)の人のブログ「リハビリ日記」をもとに...

この本をいつどこで知ったかは忘れてしまったが、そのうち読んでみたいと思っていた。こないだ『逝かない身体』を読んだいきおいでリクエストしたら、近所の図書館に所蔵のないこの本はヨソからの相貸できた。 母が診断されていたSCDと同病(型はちがうが)の人のブログ「リハビリ日記」をもとにした本。母はSCDの中でもOPCAという型だったが、このやまざきさんはマシャド=ジョセフ病という型。やまざきさんは、母が死んだ年に発症されている。なので、それからのリハビリ日記は、母の死後の医療助成や難病治療の変化がすこし分かるものでもあった。 やまざきさんは、自分の症状を自覚し、どのようなリハビリをしていけばよいか仮説をたて、実際にいろいろとやって検証をくりかえしている。今日は調子がいいとか疲れたとか、そういうのを読んでいると、母がこぼしていた症状(重心がうしろにかかってしまうとか、まだ車椅子に乗ってなかった頃は手すりがないとこわいとか、物が二重に見えるとか…)は、こんな経験やったんかなあと思えた。型はちがっても、同じ病気なんやなあと思いながら読む。 ※先日、久しぶりに難病連などのサイトを見ていると、母が診断されていたOPCAは、以前(母が生きていた頃)は「SCD」に分類されていたが、 2003年度以降、SDSやSNDとともに「MSA」に分類しなおされたそうだ。OPCA、SDS、SNDは別々の疾患と報告されていたが、病理学的にみて同じ疾患の症状の現れ方の違いだということが分かったから、らしい。 こないだ本屋で『1リットルの涙』を見かけたので、ちょろっと立ち読みして、亜也さんがやせていくという話に、母もずいぶんやせたよなあと思い出していた。やまざきさんも発症してからやせていっている。 母も新薬の開発を待ち望んでいたが、やまざきさんもその思いは同じ。最初に検査入院したときには「すっきり治ってピンピンして出てくる」つもりでいたのに、変わらない症状のままがっかりして母は退院してきた。新薬の治験というのにも参加したことがあったが(ダブルブラインドの治験なので母が真性のクスリを飲むグループだったのか偽薬を飲むグループだったかは分からない)、「全然効かない、何もよくならない」と母は失望をあらわにしていた。 そんな母を見ていて(効かないと思うから効かないんちゃうか、頭で考えすぎなんちゃうか)と思ったこともあったが、やまざきさんはふらつきに対して服用しているクスリの効果がそれなりにあるようで、効くこともあるんやなあ(そらそうやな)と思った。 新薬ができ、この病気が治癒するものとなったときのことを、やまざきさんは考えている。そうなったときに自分の身体はむかしのように動くだろうかという試みもおこたらない。母も、もう少し病気の進行が緩やかであったなら、そんなことも考えられたんかなあと思ったりした。 やまざきさんの現在のブログ 「脊髄小脳変性症・リハビリ日記」 http://scd.blog.so-net.ne.jp/

Posted by ブクログ

2009/02/11

マシャド=ジョセフ病にかかった著者の闘病記。 マシャド=ジョセフ病は、小脳が縮小して徐々に運動能力を失われていく病で、一リットルの涙でも取り上げられたので知っている人がいるかもしれない。 不安のある日常のなか、作者は仕事を続けながら、ヨガやジムに通いながら歩き方の研究をしたり、...

マシャド=ジョセフ病にかかった著者の闘病記。 マシャド=ジョセフ病は、小脳が縮小して徐々に運動能力を失われていく病で、一リットルの涙でも取り上げられたので知っている人がいるかもしれない。 不安のある日常のなか、作者は仕事を続けながら、ヨガやジムに通いながら歩き方の研究をしたり、大学での病気の研究の進み具合を調べたりと病と正面に向き合いながら生活を続ける。 もちろんつらい事もあれば愚痴もある。この辺りの表現は、本書ではやわらかくなっているが、元となったブログでは奥さんのことを結構厳しくののしっていたりする。 「脊髄小脳変性症・リハビリ日記」 http://scd.blog.so-net.ne.jp/ しかしふらふらしながらも著者は、肩肘はらずに少しずつできることから前進しようとする。 たとえば、薬を飲むときに下を向きながら飲む事でむせるのを防ぐちょっとした工夫。 歩くときの重心の掛け方、バランス、筋力の関係。 こんなちょっとした自分自身にまつわる観察から北京オリンピック男子 100m でのパウエル失速の原因まで探ってしまう。 いやはや、頭のいい人は違うのです。 一般的な闘病記が、痛い、苦しい、さびしいだけで終わってしまうのは、あまりにも病にとらわれすぎてしまうところがあるからではないだろうか。 たしかに病との闘いはつらいものであるが、それだけで終わってしまうのは結局、病に振り回されていることに他ならない。 病のために生きるわけではなく、自分のために生きるのが本来の道のはずだ。病にとらわれるということは自らを不自由な檻にとじこめていることと同じ。 病だけではない。経済的な情況、学歴、国籍、身体、職業。私達はさまざまな事にとらわれることで想像力さえも檻のなかに閉じ込めていないだろうか。 そのことに気づいている作者は次のようにつづる。 「僕はこの病気と闘うために生きているのではない。僕の生きる意味は病気とは別のところにあるはずだ。 どうせ治らないのだから、下手な考えをしてもしょうがない。とは思わない。病気が治ることをイメージできない人は、治ることができないのだ。と自らを戒める。 治って、病気を失ってしまった後の人生についても、しっかり考えておく。病気を克服したときの準備のために。」 ここにはある自由を手にいれた姿がある。というのは言いすぎだろうか。

Posted by ブクログ