商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 偕成社 |
| 発売年月日 | 1978/09/01 |
| JAN | 9784037260309 |
- 書籍
- 児童書
ヒルベルという子がいた
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ヒルベルという子がいた
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商品レビュー
4.3
11件のお客様レビュー
誰も施設に住むヒルベルの気持ちを理解することができない。どうしたらヒルベルが満足に幸せに暮らすことができるのか、解決できる人がいない。 ヒルベルは施設を脱走し、丘から見える家いえを眺めた。「本当はヒルベルは家が恋しかった。人の住んでいる家が、部屋が、恋しかった。どこかに自分の家が...
誰も施設に住むヒルベルの気持ちを理解することができない。どうしたらヒルベルが満足に幸せに暮らすことができるのか、解決できる人がいない。 ヒルベルは施設を脱走し、丘から見える家いえを眺めた。「本当はヒルベルは家が恋しかった。人の住んでいる家が、部屋が、恋しかった。どこかに自分の家があったらどんなに嬉しいだろう。どうして大人の人たちは僕を家庭に入れてくれないのかなあ?・・・」と思う。 唯一大好きだという母親は、全くヒルベルと住む(育てる)気持ちはなく、能力もない。 常に頭がガンガン痛かったら、それは辛いだろう。良い子でいられる訳がない。 施設の先生も周りの子供達も、ヒルベルの行動に疲弊してしまう。親切にしようと思っても、子供騙しみたいな親切では、ヒルベルには通用しない。ヒルベルは自分でもどうしようもないくらい、どうしたら自分が良い子でいられるのか、暮らしやすくなるのか、わからなかった。 切なかった。私も、周りの人と自分が違うのかもしれない。理解されていないのかも、おかしな人と思われているのかもと思うことがあり、ヒルベルの気持ちが全くわからない訳ではなかったから、こうして途方に暮れてしまうヒルベルが他人ごとではないと感じた。 そのヒルベルが最後に、やってみようと思ったことは、「ライオン(羊)と一緒にあちこち駆け回ること」ライオン飼い(ライオン飼い)のおじさんのゆりかごが懐かしかったのかもしれない・・・ ヒルベルが、心を寄せることができた「母親」と「ライオン飼い」のおじいさんは、どちらも、ヒルベルに対して「どうなってもらいたい」という意識がない。それが、ヒルベルのような子に対して重要なのかな・・・・。 ヒルベルのような子でも、やっぱり、自分のやりたいこと、こうなりたいっていう夢があること、それを追いかけることが、ヒルベルのほんのひとときでも救いになったことが、私にとっても救いだった。
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施設で暮らすヒルベルを描いた作品。ヒルベルは仇名で、ドイツの人が聞くと、脳が渦を巻いているような印象をもつそう。 そのとおり、ヒルベルは喜びも悲しみも人一倍大きいみたい。何かあるとうなり、叫び、ときに攻撃する。 そんなヒルベルは、周りから疎まれ、恐れられ、やっかいもの扱いされて...
施設で暮らすヒルベルを描いた作品。ヒルベルは仇名で、ドイツの人が聞くと、脳が渦を巻いているような印象をもつそう。 そのとおり、ヒルベルは喜びも悲しみも人一倍大きいみたい。何かあるとうなり、叫び、ときに攻撃する。 そんなヒルベルは、周りから疎まれ、恐れられ、やっかいもの扱いされている。マイヤー先生だけがよき理解者。だけど、受ける愛情が絶対的に不足しているようだ。 障害としては自閉症のような症状なのかな、それに頭痛が加わっていてつらそう。でも心底心配して、そのつらさを受け止めてあげられる人が不在。ヒルベルは「家庭」に憧れている。「愛」に飢えているのだと思う。その飢えを、いろいろな「問題行動」で表しているのかもしれない。 病院に連れて行かれたヒルベルのその後が気になる。でもむしろ、ヒルベルと同じような境遇の子に目を向けてほしいという著者のメッセージが感じられる。「ヒルベルという子がいた」という過去形のタイトルからも、それは感じられる。 現代でも多くの人から見過ごされているようなヒルベルの存在を、心にポトンと印象的に残されるような作品。でも決して批判調でなく、冷酷な物語としてでなく、ヒルベルのユーモアや賢さに、周りの大人たちー読者もーが目を見開かれていくような作品だった。そこがすばらしかった。
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生まれつき脳に障害を持ったヒルベルという少年。ヒルベルの施設での生活が描かれている。巻末に付録で取り付けられていた河合隼雄さんの解説がとても参考になった。 常識的に生きている多くの大人にとって、子供の行動は、大人にとって都合が良い、良い子の行動か、都合の悪い「悪い子」の行動かの2...
生まれつき脳に障害を持ったヒルベルという少年。ヒルベルの施設での生活が描かれている。巻末に付録で取り付けられていた河合隼雄さんの解説がとても参考になった。 常識的に生きている多くの大人にとって、子供の行動は、大人にとって都合が良い、良い子の行動か、都合の悪い「悪い子」の行動かの2種類にジャッジされがちだ。しかし、純粋に生きている子供は、いろんな感情や考えを経て一つの行動に至る。それはただの善悪で捉えられるべきではない複雑ものかもしれない。そして、一つの行動に至るまでのその子の思いをどう受け止め反応するかで、子供が次に取る行動は変わってくる。 この本でヘルトリングが言いたい事は、なんとなく心に刺さったし、隼雄さんの解説もなるほどと思う。しかし、実際の普通校の教育現場に、ヒルベルのような行動を取る子がいたら、周りの教員や子供たちは疲弊してしまうだろう。実際にそういうことが起こっていると耳にする。担任の教員は、1人の子にかかりきりになるわけにはいかないから、支援員に任せきりになり、その子が学校を抜け出したら、担任をしていない先生達がその子を探しかけ回る。捕まえようとした先生は、その子に暴力を振るわれることもある。でも学校は公にはできない。 そんなことが度重なると、やはり人の心はそう余裕が無いので、その子を悪とみなすようになる。今の学校現場は、このようなことが日常茶飯事のようだ。誰が悪ということではない。だけど、どうかしないと、みんなが、学校教育が破綻してしまう。一体どうしたらいいのだろう。放課後のデイサービスばかり目につくようになったが、学校にいる時間の対策が追いついていない。 ヘルトリング著の『おばあちゃん』の訳者あとがきに示されていた、ヘルトリングが児童書を書くにあたり心していることの五点の中の、【ファンタジーを損ない、夢をしめだすことなく】現実を子どもたちに知らせることが必要であるという一節が、河合隼雄さんの書評に改めて書かれていた。この本を読んだあと、この心がけを改めて読むと、深く納得が行く。 多くのことを受け止める大きな器がより必要になってきている時代なのに、それに反して人間の器は小さくなってきているのを感じる。自分自身もそうだ。せめて読書から少しでも何かを感じとって肥やしにしなければと思う。
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