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スピリチュアルの冒険 講談社現代新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社/ |
発売年月日 | 2007/07/19 |
JAN | 9784061498990 |
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スピリチュアルの冒険
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スピリチュアルの冒険
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スピリチュアリティ(霊性)とはラテン語のスピリトゥスを語源としていて、息、霊感(インスピレーション)という意味がある、と述べられ、その意義を『創世記』のアダムによって説明されています。アダムは主なる神によって、息を吹き込まれ、生きる者となります。アダムの側からみると、神からの息を...
スピリチュアリティ(霊性)とはラテン語のスピリトゥスを語源としていて、息、霊感(インスピレーション)という意味がある、と述べられ、その意義を『創世記』のアダムによって説明されています。アダムは主なる神によって、息を吹き込まれ、生きる者となります。アダムの側からみると、神からの息を吸い込むことで、器でしかない肉体と霊魂が結び付き、生きる力を得たのです。 また、人間の肉の愛(エロース)に対して、スピリチュアルなものとしての神の愛(アガペー)の優位を説く説がありますが、それを北村透谷は「想世界」と呼び、「恋愛」もそこにおいてとらえようとする、と言っています。もちろん、恋愛は「肉の愛」を前提としますが、それだけにとどまらないのです。「恋愛」の体験のなかで、「恋愛」という息を吹き込まれることで、「人は自分の心(内部)の固くとざされていた扉が開いていくのを知る」ことを経験する、と言います。スピリチュアルに触れることで、命がひらかれる、とでも言えばいいのでしょうか。 しかし、私たちは偶像に霊性を託してしまい(貨幣、軍事力が例として挙げられています)、それにひざまずくことで、外部のものと接してしまい、霊性を直接感じ取ることができなくなっているのです。カルトなどに囚われるのも、スピリチュアルを吸い込むのではなく、それを礼拝するべき偶像としているように思われます。
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「霊性」と訳される「スピリチュアリティ」には、「息」という意味と、「霊感」(inspiration)という意味がある。『旧約聖書』には、「主なる神は土の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と書かれている。また、インスピレーショ...
「霊性」と訳される「スピリチュアリティ」には、「息」という意味と、「霊感」(inspiration)という意味がある。『旧約聖書』には、「主なる神は土の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と書かれている。また、インスピレーションは、自分の内側から出てくるものではなく、外側から呼び起され、与えられるものである。こうした発想は、仏教においても見られる。空海は、「気息」の響きの中に「声」を起こし、それが「真言」となって万物の実相を明らかにすると考えた。 本書は、近代以降に「スピリチュアリティ」の復権に関わった文学者や思想家を紹介するとともに、「スピリチュアリティ」の現代的意義を論じた本である。取り上げられてる文学者・思想家は、ドストエフスキー、北村透谷、内村鑑三、鈴木大拙、折口信夫、埴谷雄高、椎名麟三、三島由紀夫、田中小実昌などである。 さらに、カール・バルトの「神学闘争」や、ハシディズムを現代に生かそうとしているA・J・ヘッシェルの試みを紹介し、スピリチュアリズムの現代的意義を見いだそうとしている。バルトは、人間の感情や意識、理性や論理によって「神」を捉えようとするキリスト教の「宗教」化を批判した。そして、そうした立場から、ドイツ民族を「神々」、「総統」を救世主の「神」とするナチズムおよびドイツ・キリスト者たちに対する「神学闘争」を展開した。著者が注目するのは、この神学闘争においてバルトが、ユダヤ教とキリスト教という「宗教」の枠を越えて、「神の民」としてのアブラハム以来のスピリチュアリティを共有することをめざしたことである。ここに著者は、互いの宗教の表面を手際よく語るだけで終わる「宗教間対話」を超える、スピリチュアリティの広がりと可能性を見ようとしている。こうした可能性は、アラブ人とユダヤ人との共生をめざすヘッシェルの試みの中にも見いだされている。 著者は、鈴木大拙の「日本的霊性」を、排外的な日本主義のナショナリズムの対極にあるものと位置づけているが、おそらくここにも「宗教」の枠を超えるようなスピリチュアリティを見ようとしているのだと思われる。ただ、そうした可能性を論じるに際しては、「東洋的」な「無」ないし「空」の思想を、いわゆる「近代の超克」と結びつけた過去もあったことにも留意しておく必要があるだろう。
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江原さんとかあの世のお話とかは出てきません(笑) スピリチュアリティ(霊性)とは、目に見える価値や成果だけにとらわれずに、自己を超えたもの、社会の水平的な軸を超えた、超越的なものを感じる力を意味する。 「霊」というのは魔何不思議な概念ですが、私たちの「生命」と深く関わっている...
江原さんとかあの世のお話とかは出てきません(笑) スピリチュアリティ(霊性)とは、目に見える価値や成果だけにとらわれずに、自己を超えたもの、社会の水平的な軸を超えた、超越的なものを感じる力を意味する。 「霊」というのは魔何不思議な概念ですが、私たちの「生命」と深く関わっている大切なものです。 形骸化した宗教や思想を内面から打ち破り根源に至るものとして、スピリチュアリティというのは大きな意味を持っているのではないでしょうか。 かなり共感しインスパイアされました。
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