商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社/新潮社 |
発売年月日 | 2004/11/01 |
JAN | 9784101007014 |
- 書籍
- 文庫
Xへの手紙・私小説論
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Xへの手紙・私小説論
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本書の奥付を見ると昭和48年3月発行、49年かかって読み終えた。それほど小林秀雄という山は険しいのだ。しかし、「Xへの手紙」は面白い。人間論、政治論、そして恋愛論、若き小林の生の声を聞くようだ。長谷川泰子との凄まじい恋愛がベースにあると仄聞するが、こんなところに表出している。「俺...
本書の奥付を見ると昭和48年3月発行、49年かかって読み終えた。それほど小林秀雄という山は険しいのだ。しかし、「Xへの手紙」は面白い。人間論、政治論、そして恋愛論、若き小林の生の声を聞くようだ。長谷川泰子との凄まじい恋愛がベースにあると仄聞するが、こんなところに表出している。「俺の考えによれば一般に女が自分を女だと思っている程、男は自分を男だとは思っていない。この事情は様々の形で現れるがあらゆる男女関係の核心に存する。惚れるというのは言わばこの世の人間の代りに男と女とがいるという事を了解する事だ。女は俺にただ男でいろと要求する、俺はこの要求にどきんとする。」
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この文庫を手に取ってみて、きっとはじめは奇異に感じるだろう。というのも、出だしの数編が小林秀雄の若書きの小説であったり、詩が入っていたりすることだ。しかもそれが暗いシニックなもので面白くない(そしてたぶんそんなに上手くない)ものであればなおさらだ。 最初は疑問に思いながらも読...
この文庫を手に取ってみて、きっとはじめは奇異に感じるだろう。というのも、出だしの数編が小林秀雄の若書きの小説であったり、詩が入っていたりすることだ。しかもそれが暗いシニックなもので面白くない(そしてたぶんそんなに上手くない)ものであればなおさらだ。 最初は疑問に思いながらも読み進めて行くと、『Xへの手紙』あたりで突然、批評家としての小林秀雄が顔を出すことにきづく。「俺は自分の感受性の独特な動きだけに誠実でありさえすればと希っていた。希っていたというより寧ろそう強いられていたのだ。文字通り強いられていたのだ。」(p76)と、強烈に自己を意識した文章が飛び出してくる。この「感受性」の上に、彼の批評が成り立っていく。曰く、文学の新人へ向けて「君の自我がどんなに語り難いものにせよ、又語る時を君がどんなに軽蔑しようと、僕は依然として君の自我を尊敬するし、僕の欲しいものは君の自己証明なのだ。」(p188)と述べる。 この本には小林秀雄の芸術の捉え方を明かすものが多く収録されている、マルクス主義文学論に対して書かれた『様々なる意匠』、芸術家の表現について書かれたそのもの『表現について』などが収録されている。それら収録された一篇毎に、小林は批評を通じて「美とは、新しい生き方の事であり、人間の新しい意味であり思想であった事」(p276)を確認し続けようとした。 読み終わると、最初の小説群の意味が少しわかる。これらは、批評家・小林秀雄への導入だったのだと。素人には小林秀雄の批評はとっつきにくい。著者の受けた印象が文の前面に出ていて、批評元の作品から遊離していて何を言っているのかわからなくなるところがあるからだ。しかし、この本を読んでみると、小林秀雄が何を目指して批評活動をしていたのかが分かってくるのではないか。
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「かたち」が沁みてくる。このひとはこのひとである以上、どうしようもなかつた、そのことに気づかされる時、「かたち」が浮かび上がつてくる。批評とは問題点を取り上げて改善を促す類のものではなく、この「かたち」に辿り着くことだと思ふ。 「かたち」を物語として書いたところにも彼の姿が映つて...
「かたち」が沁みてくる。このひとはこのひとである以上、どうしようもなかつた、そのことに気づかされる時、「かたち」が浮かび上がつてくる。批評とは問題点を取り上げて改善を促す類のものではなく、この「かたち」に辿り着くことだと思ふ。 「かたち」を物語として書いたところにも彼の姿が映つてゐるが、彼が生き響いた対象に対して語りかけ、そのぎりぎりの境界に辿り着くまでには、一体どれほどの存在が通り過ぎていつたのか。 Xへの手紙はそんな彼の歩いた道のひとつの里程標だと思ふ。Xと名づけられた未知の存在。生まれたての物書き。ただひたすらに書いていくことを望んだ新人。表現するとは自分であること以上のことは何もできないと知つてしまつた小林からの限りない哀惜と、それゆえに新たな表現を見出せる可能性を背負つた存在。 彼はいくつもの手紙をかうして書いては誰に宛てるでもなく、しまつていたのかもしれない。 ひとがそれ以上何にもなれないといふことを知ることは、ひとの生命、人生をみることに他ならない。意匠とでもいふものか。それに触れる時、ひとはさういふものでしかないと思い知らされると同時に、さういふひとしか生きてこなかつたといふ明滅が目の前に拡がる。その明滅はミクロで見れば不連続なものかもしれないが、いくつもの明滅が重なりマクロで見ていけばひとつの線となる。直線は定義上始点も終点も存在しない。これまで存在しなかつたといふことも、今後存在しないといふこともない。「在る」とはそんな風にできてゐる。
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