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友だちになれたら、きっと。 イスラエルとパレスチナの少女の文通 この地球を生きる子どもたち
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友だちになれたら、きっと。 イスラエルとパレスチナの少女の文通 この地球を生きる子どもたち

ガリトフィンク, メルヴェト・アクラムシャーバーン【著】, リツァブダリカ【編】, いぶきけい【訳】

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友だちになれたら、きっと。 イスラエルとパレスチナの少女の文通 この地球を生きる子どもたち

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 鈴木出版/鈴木出版
発売年月日 2007/06/28
JAN 9784790231967

友だちになれたら、きっと。

¥1,540

商品レビュー

3.7

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2024/10/30
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イスラエルの少女とパレスチナの少女が、ベルギー人の編者を通して文通をはじめる 手紙を交わしている間にも、イスラエル・パレスチナ間で衝突や事件があり、そのことも紹介している それらは手紙の内容に色濃く反映されていく どちらの身でも辛い 2人のご両親が素晴らしいと思った 手紙の中以外では出てこないが。 ○何もインプットされていない子どもの頃であれば、国も民族も宗教も関係なく友だちになれる ○ときに、大人やまわりを気にしている様子が見られる ○大人になって、心を預けられる家族がいることと失ったことの違い ○大きくなった、かつてのイスラエルの少女の土地への執着心が子どものように感じた  ただ、一人でお子さんを育てている不安も立ちのぼってくる ○どこか、お互い。思い合えるような着地点が見つかりますように

Posted by ブクログ

2015/01/16

イスラエルの少女とパレスチナの少女とが文通するというノンフィクション。 彼女らを取り巻く出来事の中で、心境が変化していく過程がよくわかる。 残念なのは、手紙文はわかりやすいのに、その当時の状況説明の文章(作者によるもの)が、わかりにくい。特に指示語が不明確で、出来事の前後関係...

イスラエルの少女とパレスチナの少女とが文通するというノンフィクション。 彼女らを取り巻く出来事の中で、心境が変化していく過程がよくわかる。 残念なのは、手紙文はわかりやすいのに、その当時の状況説明の文章(作者によるもの)が、わかりにくい。特に指示語が不明確で、出来事の前後関係が混乱してしまう。 また、彼女たちは交際を絶ってしまったにも拘わらず、希望的を持たせる終わりかたをしているが、ちょっとその締めくくり方が強引に感じられた。 ノンフクションならば、(彼女らのものは難しいにしても近辺の)写真や、手紙そのものも載せて欲しかった。

Posted by ブクログ

2014/06/29

エルサレムのすぐ近くの街デヘイシャの難民キャンプに住むパレスチナ人少女メルヴェトとエルサレムに住むユダヤ人少女ガリトが12歳の時に始めた文通の記録。間をとりもったのがこの本の編者のリツァ。ギリシャ生まれのベルギー人で英語とフランス語を話す。リツァは1962年生まれなので、彼女がメ...

エルサレムのすぐ近くの街デヘイシャの難民キャンプに住むパレスチナ人少女メルヴェトとエルサレムに住むユダヤ人少女ガリトが12歳の時に始めた文通の記録。間をとりもったのがこの本の編者のリツァ。ギリシャ生まれのベルギー人で英語とフランス語を話す。リツァは1962年生まれなので、彼女がメルヴェルとガリトに会った1988年には26歳頃だったことになる。基本的にメルヴェトはアラビア語、ガリトはヘブライ語を話していたと思われるけれど、リツァはどちらも理解することができたのだろうか。そのあたりの事情ももう少し詳しく知りたいところだ。  イスラエルによる占領に立ち向かうためインティファーダが行われていた頃。パレスチナの少女とイスラエルの少女は、それぞれの国同士が仲良くないことは知りながら、お互いのことを知りたいと思う。どんな音楽が好きか、家ではどんなふうに過ごしているのか、学校では何をしているのか…。ふたりの手紙を読んでいると、人はやはり自分の経験した範囲で物事を考えがちであることがわかる。学校が閉鎖されてしまったメルヴェトは、最初は嬉しかったけど、何か月も続くと「石けりもなわとびももう十分」(p.37)と書く。「ユダヤ人はきらい。アラブ人にひどいことばかりするから」(p.46)。これに対しガリトは「たくさんのアラブ人が、私達ユダヤ人を海に投げ込んでやる、と言っている」(p.51)と書き、「なぜ石を投げるのをやめないの」と問う。イスラエルとパレスチナは争っているけれど、おたがいは普通の友達であると感じている。社会の変化の中でその気持ちもゆらぐのだが、二人はついに会うことになる…  やがて文通が途絶え、リツァが次に彼女達に会った時には二人とも母になっていた。彼女達はどんなふうに成長したのか…  ヘブライ語の挨拶に使う「シャローム」もアラビア語の挨拶に使う「サラーム」もどちらも「平和」という意味(p.17)。「エルサレム」とは「平和の町」という意味(p.16)。みんな平和を願っているのに、平和な日々は訪れない…  当事者達もどうしていいかわからず、私達もどうしていいかわからないけれど、こうして対話をすることが少しでもお互いを知るきっかけになることは確かで、お互いのことを人間として実感することができるようになることも確かで、結局、平和への道はこんな小さな交流のようなことから始めるのがいいのかもしれない。  日本の同年代の子ども達(小学校高学年から中学生)にもぜひ読んでほしい。

Posted by ブクログ

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