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唐人お吉物語
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唐人お吉物語

竹岡範男【著】

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唐人お吉物語

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 文芸社/文芸社
発売年月日 2006/11/15
JAN 9784286020228

唐人お吉物語

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商品レビュー

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2022/11/15

伝説のみが知られ、その実情はよく知られていない唐人お吉。 日米条約締結のため伊豆下田に来航したハリスの愛妾として仕えたお吉。 晩年は悲惨な最期を遂げます。 これまでの虚像を覆す、史実にもとづいた本格的お吉伝です。 条約締結後のお吉、幕末の動乱に捲き込まれ祇園の芸妓となったり、松浦...

伝説のみが知られ、その実情はよく知られていない唐人お吉。 日米条約締結のため伊豆下田に来航したハリスの愛妾として仕えたお吉。 晩年は悲惨な最期を遂げます。 これまでの虚像を覆す、史実にもとづいた本格的お吉伝です。 条約締結後のお吉、幕末の動乱に捲き込まれ祇園の芸妓となったり、松浦武四郎の片腕となって開国に奔走したり。 維新後は流浪の果てに下田に戻り、悪罵と嘲笑の中に反抗しつつ、明治24年3月25日、51歳で下田川の上流門栗ケ淵で豪雨の夜、投身自殺しました。 亡骸を引き取った寺の住職、その末裔による、本当のお吉の姿が描かれています。

Posted by ブクログ

2021/07/24

開国前夜の下田で起こった悲しい出来事。証拠なく消されやすい出来事を伝え聞いた貴重な内容。そうだなぁそうなるよなぁって思いながら読んだ。 ケチで強情で、威張るよりほかに能のない町の男達とはうってかわって、女を喜ばす術を身につけた紳士であると知れば、女郎に限らず堅気の娘も、田舎娘が...

開国前夜の下田で起こった悲しい出来事。証拠なく消されやすい出来事を伝え聞いた貴重な内容。そうだなぁそうなるよなぁって思いながら読んだ。 ケチで強情で、威張るよりほかに能のない町の男達とはうってかわって、女を喜ばす術を身につけた紳士であると知れば、女郎に限らず堅気の娘も、田舎娘が噂に聞く東京に憧れるように、心の奥底では異人に憧れていた娘もいたと言えないこともありません。 ハリスの滞在場所玉泉寺に近い柿崎の浜辺のあたりに、みすぼらしい石塚がひっそりと雑草にかくれたりしていますが、そうした石塚は、地元の人達の話によれば、下田に来た外国人と娘や女郎衆などとの間にできた、子供を埋めたあとであるとか、下田の橋を渡ったところに見える松林の中にも、そうしたあわれな子供達が母親の手によって密かに埋められ、塚も残されていないものさえたくさんあるといった話を、私は古老から聞かされております。 下田港の犬走島から真東に当たる福浦という海岸は黒船来航当時は船着場でありました。海岸の山寄りの草むらに五つ墓が並んでいます。菓子商を営んでいる村松鶴吉という八十の老人の話によると、鶴吉の祖母が「洗濯場付近に俺あ家の田があってな。毎日野良仕事に出ていただが、アメリカの水兵が女達に金を投げて上、女と進んでいただが、そのうち色の白い鼻の高いあいのこを生んで、殺しての、あの落に埋めたのさ、怖えこんだ」と話していたとのことです。もとより墓石を新しく作る力はないので、お寺から、無縁となって供養してくれる人もない墓石を借りてきてそれを建てた。 親の情けは、古今東西を問わず深いもの、ましてや、そうした不遇なわが子への愛はひとしお、それにわが子を埋めなくては、世間への顔向けもできない、生きていけないと追いつめられた母親の涙はどんなに熱く切ないものだったことでしょう。それかあらぬか、中には狂って死んだ娘もあったと聞いています。第二次大戦で敗北し、被占領 国となった日本でも、一部の娘さん達は、衣食住に困ったあげく、外国人との生活にはいり、中には立派に国際結婚をして、正式に外国人の妻となって陰に陽に国交の親善に役立っている人達もあり、また不幸にして夫に死別されたり、棄てられたりして、父を知らぬ混血の子供を、じっと歯を食いしばって育てている未亡人がたくさんあります。また育てられぬ人達は、子供達を育児院にあずけました。国家はこれを不十分ながら大切に育てているのです。が当時はそれほどには開けていないし、理解もなく、知恵もなく、国家的施設など考えてもみない頃でしたし、何よりも悪いことには、幕府は「渡航条令」なるものを設け、庶民が外国に渡ることを絶対に許しませんでした。したがって、国際結婚は不義に等しい御法度だったのです。娘達もまたその親達も、その頃、そうした法度は万々承知していたればこそ、生まれ出た赤ん坊をそのようにむごたらしく処置したのでしょうが、そうした法度を改める力などとてもありませんので、いきおい、怨みは武士や外国人に向けられ、特に、子を持つ親は外国人を「唐人」とさげすんで忌み嫌ったもののようです。だからお吉がハリスのもとに行くと知って、そうした憤りが彼女一人に向けられる形となったのもやむを得なかったのでしょう。そういう事情は、よくお吉も知っていましたし、お吉を口説いた伊佐新次郎とて同じでした。伊佐は奉行支配組頭の役を務めていました。お吉は愛情とか、お金とかが目当てではなく、当時ペリーの武力にかけても鎖国政策を打ち破ろうとした強硬な態度に負けて、やむを得ず開国し、通商条約を結ばねばならない事態に追いこまれた今、何とかして、かねてより通商を求めてきていたロシアやドイツ、イギリス、フランス等の諸外国との間に処して、日本が有利になるようハリスにとりはからってもらうには、直接奉行所から頼むわけにもいかないと考えていたところ、領事館側から、お吉とその妹芸者お福を求めてきたので、総領事の求めに応じてお吉を差し出し、この際、ハリスの真意を知ろうとの決心をし、いわばお吉をスパイとして使うことを考えたというわけです。そこで、奉行や諸大名、将軍といった目上の侍以外には下げたことのない頭を、町芸者のお吉には下げ、ひたすらに、領事館行きをお願いしたのでした。この点で、創作で知られているピンカートンのお珠夫人の気話や、同じ実話でも、商人モルガンに嫁して幸福な生涯を送ったお雪さんとは全然、お吉の場合はその性格が違っていたことがわかります。

Posted by ブクログ

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