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和辻において、倫理は超越的なものに基礎づけられた個人個人が、それに従って行うもの、といった形ではない。むしろ解釈学を援用しつつ、「間柄」が実現されていることが倫理であるとする。どのように「間柄」が実現されるかは空間的・時間的に異なってくるものの、個々人はその実現のために「間柄」に...
和辻において、倫理は超越的なものに基礎づけられた個人個人が、それに従って行うもの、といった形ではない。むしろ解釈学を援用しつつ、「間柄」が実現されていることが倫理であるとする。どのように「間柄」が実現されるかは空間的・時間的に異なってくるものの、個々人はその実現のために「間柄」に続いて出てくるものにすぎない。全体としての「間柄」が先行するのである。この全体的なるものは色々な社会組織が当てはまりうるが、ではそれが国家だったとき、ただ国家に従うのが倫理なのか。逆に言えば国家の統治はことごとく倫理的なのか。暴力的な国家に立ち向かう根拠となる倫理の存在論的根拠はないのか。和辻倫理学はこうした疑問を読者にもたらすものである。
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『倫理学』最終巻は、3巻の後半から『風土』の続きみたいな論述があって、さらに、いくつかの古代文明史のダイジェストを試みている。 このへん、和辻が世界の歴史を鳥瞰しつつ、日本が日本独自の文化を「新しいもの」として力強く樹立しようとした、というような苦心のあとが窺える。明治維新から戦...
『倫理学』最終巻は、3巻の後半から『風土』の続きみたいな論述があって、さらに、いくつかの古代文明史のダイジェストを試みている。 このへん、和辻が世界の歴史を鳥瞰しつつ、日本が日本独自の文化を「新しいもの」として力強く樹立しようとした、というような苦心のあとが窺える。明治維新から戦前の時期というものは、どうも日本中の知識人がそうした意識に包まれていたようだ。西田幾多郎も田辺元もしかりである。つまり時代の空気だった。その「空気」が、しまいには「八紘一宇」だの大東亜共栄圏だの、そんな話に展開して、ああいうことになったのだろう。 戦後になって和辻はこの著作に少々手を入れたそうだが、ところどころに「世界国家」という和辻の夢が出てくるあたり、それなのだろう。宇宙人が多方面から地球に総攻撃をしてこないかぎり、なかなか「世界国家」というまとまりは生まれそうにないが、まあ、無邪気な夢ではある。 戦後の天皇制について考察する際に、和辻は「国民的統一」がどうの、とねばっている。和辻の共同体論は、やはりこうした「統一」=自同性の追求になってしまうようだ。言うまでもなく、この自同性とは、個人やマイノリティの<差異>を抹消しようという共同幻想の暴力的活動である。 そう思ってみれば、共同体が解体したと言われる現在の状況は、差異が差異としてそこらじゅうに散らばっていて、むしろ健康的な面がないとも言えない。だのに、やはり<自同性>を取り戻そうとする連中が、「公」だの「国家」だのわめきだし、教養のあまり高くない多くの国民もなんとなくそちらに流れていっている。こうした右傾化の状況は、ある意味では、和辻哲郎的な思考の筋道と一致しているところもある。 私は和辻哲学の最初の方の、関係性の理論だけを救い出したいような気がする。
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