商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 光文社 |
発売年月日 | 2007/03/20 |
JAN | 9784334742225 |
- 書籍
- 文庫
ありのすさび
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ありのすさび
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好きな作家のひとりである佐藤正午の第一随筆集。現在64歳のベテラン作家の30歳半ば〜40歳〈1989年〜2000年〉の頃の身辺雑記『小説家の四季』には、著者の等身大の日常がユーモラスに綴られている。 僕は随筆しかり小説しかり、話の本筋にはさほど重要でない 、その当時の世俗や流行...
好きな作家のひとりである佐藤正午の第一随筆集。現在64歳のベテラン作家の30歳半ば〜40歳〈1989年〜2000年〉の頃の身辺雑記『小説家の四季』には、著者の等身大の日常がユーモラスに綴られている。 僕は随筆しかり小説しかり、話の本筋にはさほど重要でない 、その当時の世俗や流行や余談の下りに遭遇すると、ついつい関心はそちらに向かってしまう癖がある。あたかも見るとはなしに見た昔の月9の再放送の中のひとつのシーンを通じて当時の自身のことが数珠つなぎで想起されるように。本書にも、ワープロ・パソコン通信・モデム・ニフティー、自社さ連立政権や2000年問題…など「懐かしッ!」の連続だった。 ちなみにタイトルの『ありのすさび』の意味。漢字では「在りの遊び」と書くそうな。あるに任せて、特に気にせずに悠然、鷹揚の姿勢を言う。本書を一読すれば、このタイトルが示すように「飄々かつ泰然自若とした姿勢」で日常を遊泳していることが手に取るようにわかるはず。 佐世保に居を構え、ひたすら執筆に励む。取材や打合せで上京することはほとんどなく、取材が不可欠となれば編集者に依託するほど、ほぼ365日、佐世保駅近マンション7階の自室と半径数キロ内の生活圏にて事足りる暮らしが、あたかも世界の中心のように綴られている。 執筆での呻吟・懊悩に疲れると街を歩き、行きつけの喫茶店で、飲み屋で、定食屋で、しばしの時間を過ごす。 そこには対立軸や対抗意識や文壇-対東京、同世代作家の動向-などは眼中になく、「俺はただただ書きたい小説を書くだけ」というひとつの覚悟がドカンと居座るのみ。 創作に励む日常に時々紛れ込む知人との交流がおかしい。「女性がイチコロとなるスパゲティのレシピを教わり、それをマスターすべく毎日キッチンに立ったり」、「卵を冷蔵庫に仕舞う際、どちらを下にするのが正しいのか…」といったことに悩んでみたり、とにかく健全かつ晴朗である。これが村上春樹なら、ロッシーニの『泥棒カササギ序曲』を聴きながらパスタ茹でたりするんだろうけど、佐藤正午の日常には雑音さえ出てこないし、時には気取ることもあるのかなと勘繰ってみたくなるほど。 「孤高」でなく、何かに「背を向ける」こともなく、もちろん「厭世」的でもない。時折顔を覗かせる「偏屈さ」がユーモアと結びつき、随筆の絶妙なエッセンスになっている、作家の日常を堪能できる一冊。
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ついこないだ、『童貞物語』が私の中で青春小説ナンバー1となったばかりだが、この『ありのすさび』は私が読んだ(数少ない)エッセイのなかでナンバー1になってしまった。佐藤正午のとりこになってしまった。完全に。文章は粋だし美しいし正直だし(そうでもないとこもあるし)色っぽいし、少しズル...
ついこないだ、『童貞物語』が私の中で青春小説ナンバー1となったばかりだが、この『ありのすさび』は私が読んだ(数少ない)エッセイのなかでナンバー1になってしまった。佐藤正午のとりこになってしまった。完全に。文章は粋だし美しいし正直だし(そうでもないとこもあるし)色っぽいし、少しズルくっておかしくてかわいくてぎゅぎゅぎゅ、と抱きしめたくなる感じ。10年以上前に「ジャンプ」を読んで以来、面白いなあ、とちょこちょこ読んではいたけれど、この年になって、佐藤正午のほんとの良さがわかってきた気がする(えらそうですが)。じわじわと。全部、読むぞ。出てるの、全部。
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この本で佐藤正午を初めて読んだ。 本屋で何となくこの本を手に取ったのは、表紙の写真に何故か心惹かれたからである。どこかの町の商店街だろうか。淡い光の中に浮かび上がっている。本の中でも何枚か扉写真が使われていて、そのどれもが何だか見入ってしまうものだった。ストーリーを感じさせる...
この本で佐藤正午を初めて読んだ。 本屋で何となくこの本を手に取ったのは、表紙の写真に何故か心惹かれたからである。どこかの町の商店街だろうか。淡い光の中に浮かび上がっている。本の中でも何枚か扉写真が使われていて、そのどれもが何だか見入ってしまうものだった。ストーリーを感じさせるのだな。 だから、本書がエッセイ集だという事も知らないまま買って帰った。一風変わったタイトルの意味もわからなかった。 そして、読んでみた。長崎に暮らす佐藤氏の淡々と流れ行く日々の随筆。語りかけるようなその文章にすぐに夢中になった。 本書は、雑誌や新聞などに発表されたまま長い間書籍化されてこなかったエッセイを集めたものである。'90年代からたまり続けたエッセイは既に年代ものの風格で、パソコン通信の話題など隔世の感を抱かせる。 それでも、朝起きて、コーヒーを飲んで、小説を書いて、眠って、という著者のスタイルは全然変わらない。パソコンが登場しようが、小説家の日々はゆったりと移ろい行くのみだ―。 この日々徒然感が佐藤氏のエッセイの魅力。様々な場に発表されたものを纏めているのに、文章から受ける印象があまり違わないのは、佐藤氏のスタンスが一貫している証拠だろう。だから、何時の、何に発表されたエッセイを読んでも、佐藤氏の変わらないのんびりした日常に触れることが出来る(扱われている話題は古かったりするんだけど)。 そして本書のもう一つの読みどころは解説でも触れられている通り、長崎在住という部分だろう。長崎という地方から世界を見回す。佐世保にある仕事場のベランダから見える景色を眺めながら、次の小説の構想をつらつらと考える。 そこには東京といった大都市からは見えない景色が見えているようだが、佐藤氏は特別それを珍しいとは思っていないようだ。 本書中では佐藤氏のユーモアのセンスも各所で発揮されている。まじめくさった顔で冗談を言われたような感じで、あっけに取られていると、解んないならいいや、と置いていかれてしまう。 本書に収録されているのだが、新聞に連載されたエッセイで、連載中に佐藤氏が仕事を放り出して海水浴に行ったので他人が代筆をしている、という設定の回がある。 これを載せた新聞社に非難が殺到したそうで、佐藤氏はそんな人もいるのかと暗澹とした気持になったそうだが、それを信じちゃうくらい佐藤氏の筆致は軽やかに読者を欺いてしまったのである。 もちろんユーモアだけではない。感傷的だったり、悩んでいたり、小説家の日々は考える事がたくさんだ。時にオシャレに思い出話なんぞを披露する技などは一瞬現実を忘れて佐藤氏の思い出が自分の物のような気すらしてしまう。これも読者を取り込む佐藤氏のいたずら心なのかも知れないけど。 そんなやんちゃな佐藤正午という人に僕は興味を抱いてしまった。 佐藤氏としてはしめしめといった感じだろうが、ここまで術中にはまってしまっては、狙い通りだと判っていても佐藤氏の手で転がされてみたい気がする。 ちなみにタイトルの「ありのすさび」とは、「在りの遊び」のことで、「あるにまかせて、特に気にせずいること。生きているのに慣れて、なおざりにすること」の意味だそうだ。
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