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汽車旅放浪記
1,870円
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 新潮社/新潮社 |
| 発売年月日 | 2006/06/25 |
| JAN | 9784103876038 |
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汽車旅放浪記
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商品レビュー
4.3
6件のお客様レビュー
多様な鉄道の旅を通じて、歴史や文学、そして著者自身の経験が織り交ぜられた深いエッセイが展開されます。端正で落ち着いた文体は、読者に静かな感動をもたらし、心の奥深くに響くような印象を与えます。一般的なエッセイに見られる自慢や高揚感が排除され、明鏡止水のような静謐さが際立っているため、心を落ち着けながらじっくりと読み進めることができます。歴史や文化に対する深い理解と愛情が感じられる一方で、堅さを感じる読者もいるようです。鉄道紀行というジャンルにおいて、他の著名な作家との比較も交えながら、独自の視点で描かれたこの作品は、心に残る旅の記録となっています。
※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。
関川さんがてっちゃんだったとは知りませんでした。いつものように端正な文体で、読んでいて眼の奥の奥のほうがこころよかったです。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
昭和30年代回顧が流行のようだが、半世紀ほど前、自家用車などなかった頃、人や荷物を大量輸送できたのは汽車だけだった。昧爽のピ-ンと張った空気を切り裂く汽笛、なだらかに広がる稲穂の波を縫って走る列車、闇の中に橙色の小さな窓灯りが連なる夜汽車。少年はいつかはあの汽車に乗って旅立つことを夢みていた。 関川は書いている。「私は幼い頃から汽車を見に行くのが好きだった。流れの速い用水沿いの小道で、汽車に手を振るのが好きな子だった。暮れなずむ山脈の向こう、東京の方へ、車窓に黄色い光を並べて走り去る列車は、希望の色調でえがかれた私の原風景である。」 著者はこの本を書くために、汽車に乗りはじめてから、「団塊の世代」に鉄道ファンが多いことに気づいた。誰が言いはじめたのかは知らないが鉄道マニアのことを今では「鉄ちゃん」と呼ぶそうだ。関川は、自分がそう思われるのを恥じている。しかし、あとがきではなかば開き直ってこう書く。「さびしい終着駅と線路のぺんぺん草と赤錆た車止めが好きなんだといいはりたくなる」と。 こういう風景を写真に撮るためにローカル線に乗る友人が私にもいる。「人は誰でも二十五歳までに過ごした文化から自由になれない。それは檻のごときものだ」と言う著者が考える「団塊の世代」がノスタルジックな風景に惹かれる理由は、1960年以降の時代潮流の激しさがそれ以前の牧歌的風景を圧倒し去ったからだ、というものだ。 今でも自衛隊といえば「税金ドロボー」という言葉を連想し、社会党の凋落に溜息して、日本の民族主義的傾向には「強い懸念」を感じるがコリアや中国のそれに意味なく寛大であるのは「団塊」の特徴である(私ではない)。五〇年代の戦艦大和や零戦のプラモデルへの愛着を「義によって」断ち切り、六〇年代には、「非武装中立論」にひかれたりもした(私である)。近年ようやく汽車への愛は回復したが、六〇年代の傷は乾かない。(「あとがきにかえて」) 「智に働いた末に無用の人。時代に棹さして流された。通す意地などもとよりない。なのに本人はそう思っていない。無用とも流されたとも思わず、通すべき意地を通しているのだと信じている。」漱石の『草枕』を借りながら、著者は「団塊の世代」をこうくくる。シニカルだが、自分も含めての感想だから傷ましさもまじる。こう感じる同世代は少なくないだろう。 その「団塊鉄ちゃん」を自認する著者が上越線を皮切りに、房総半島、九州、津軽、果ては樺太サハリンまで、詩人や作家の作品を片手に、作品に描かれた汽車の旅を追体験する文学紀行である。上越線なら朔太郎の『新前橋駅』、光太郎の『上州湯桧曽風景』、そして川端の『雪国』。九州では清張の『点と線』、林芙美子『放浪記』、太宰治で『津軽』、サハリンでは宮沢賢治の『オホーツク挽歌』を取り上げている。 宮脇俊三の『時刻表2万キロ』のいわゆる「乗りつぶし(全線完乗)」への共感が伝わってくるのが、「宮脇俊三の時間旅行」である。自己に課した一筆書きという決まりのために、どうしても乗れない部分が出てくる。乗り残した「盲腸線(そこから先どこにも繋がらない行き止まりの線)」に乗るというただそれだけの理由で、遠くまで出かけてゆく「児戯に等しい」所業への熱情は、分かる者にしか分からない。 集中、最も興味深かったのは、「『坊ちゃん』たちが乗った列車」である。当時の時刻表をもとに坊ちゃんや三四郎が乗った列車を特定するという試みも面白いが、汽車嫌いの漱石が作品には意外に汽車を登場させている理由を探る「二十世紀を代表するもの」は、単なる文学紀行を超え、優れた評論になっている。「日露戦争はロシアの鉄道による示威と日本側の強烈な危機意識からはじまった。同時にそれはロシア軌間と日本軌間の戦争でもあった」という指摘には、はたと膝を打った。日本の鉄道はなぜ狭軌なのかという長年の疑問がこの文章で氷解した。 世代論は嫌いだ。同世代というだけで括られてたまるかという考えをお持ちの「団塊の世代」にこそお薦めしたい。
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渋み、落ち着きのある文章だ。 普通、エッセイというと、薀蓄であったり、自慢であったり、一種の高揚感が漂うものだが、そういったものがない。明鏡止水というのか、歴史、文学、鉄道史、そして私史を淀みなく渾然一体、パーフェクトハーモニー的な味わいをかもしだしている。
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