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純粋および応用アナーキー原理 筑摩叢書305
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商品詳細
内容紹介 | 内容:純粋および応用アナ-キ-原理.ポ-ル・ヴァレリ-と政治 |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 1986/11/30 |
JAN | 9784480013057 |
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純粋および応用アナーキー原理
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本書はヴァレリーが晩年に次男のフランソワ・ヴァレリー氏に手渡したノートに記された断章群で、ヴァレリーが出版を意図していたかどうかは不明である。全集にも収録されておらず、原書は1984年、邦訳は1986年に出版されている。「政治」に関するヴァレリーの閃きや思考の断片を綴ったものと一...
本書はヴァレリーが晩年に次男のフランソワ・ヴァレリー氏に手渡したノートに記された断章群で、ヴァレリーが出版を意図していたかどうかは不明である。全集にも収録されておらず、原書は1984年、邦訳は1986年に出版されている。「政治」に関するヴァレリーの閃きや思考の断片を綴ったものと一応は言えるが、そこに何らかの政治的な主義・主張が述べられている訳ではない。全編に貫かれているのは「精神」の名における「政治」の忌避である。しかしそれは政治の否定ではない。ヴァレリーは必要悪としての国家の存在を認めており、バクーニンのように国家に反逆する「アナーキスト」ではない。だから本書をヴァレリーの反政治的マニフェストと読むのは見当違いである。 編者のフランソワ・ヴァレリー氏に倣って言えば、ここに示されているのは謂わば《メタポリティック》な考察であり、政治的思考からこぼれ落ちる個人の擁護である。民主主義であれ独裁であれ、それが政治である以上個人を集計可能な単位と看做す。精神的な営みの器としてのかけがえのない個人はそこでは問題にならない。《文化》とは《不公平》であり、異質なものに同じものを押しつける《公平》は《文化》を作り出さないと言い放つヴァレリーにとって、守るべきは卓越した個人の創造性であり、それは統計的事象を扱う政治とはどこまでも無縁な世界なのである。 自らを「本能において右、精神において左」と位置づけたヴァレリーは、凡庸と画一性が支配する民主主義を嫌悪し、貴族支配(アリスタルキー)が事物の本性にかなうと述べている。むろんここで言う「貴族」は血統ではなく、行為によって示される優位を意味するが、こうしたヴァレリーのエリート主義には批判もあるだろう。だがモンテスキューやトクヴィルにも連なる精神の貴族主義は、むしろフランス的知性の最も良質な伝統というべきだ。 他方でヴァレリーは歴史的な思考について、その観点の恣意性を容赦なく批判しており、この点ではモンテスキューやトクヴィルの伝統と袂を分かつ。歴史の教訓に学ぶというのは、理性による設計主義に懐疑的な目を向ける広義の保守主義に共通する態度と言ってよいが、歴史家の目に見えた歴史の形は「偶然の形」に過ぎず、「無数の観点」が存在し得ると考えるヴァレリーは、「二度と繰り返されることがないということこそ歴史の本質である」と言う。どこまでも知性を重んじるが故に知性が一つの観点に過ぎないことを直視するヴァレリーの思考スタイルがよく表れている。
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