![530億匹の闘い ウリミバエ根絶の歴史](https://content.bookoff.co.jp/goodsimages/LL/001518/0015185869LL.jpg)
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 築地書館/ |
発売年月日 | 1994/09/16 |
JAN | 9784806723479 |
- 書籍
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530億匹の闘い
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530億匹の闘い
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「私は沖縄に行ったばかりのころ、 沖縄の人たちはノンビリしていて、 いったいいつ仕事が終わるのかと、 イライラさせられることが多かった。 時間を守らないことを叱る人もいない。 しかし、長く住みついている間に、 どんな仕事も、時間がかかっても 最後には成し遂げられてしまうことに気...
「私は沖縄に行ったばかりのころ、 沖縄の人たちはノンビリしていて、 いったいいつ仕事が終わるのかと、 イライラさせられることが多かった。 時間を守らないことを叱る人もいない。 しかし、長く住みついている間に、 どんな仕事も、時間がかかっても 最後には成し遂げられてしまうことに気がついたのだ。 だれに命令されるわけでもないのに、 皆が自分のやるべきことを理解していて、 急がずあせらず仕事をすすめていく。 もしも本土からきた都会人にやらせたら、 20年近い根絶事業の途中で、 息を切らしてしまったのではなかろうか。」 不妊虫放飼法の生い立ち・・・ラセンウジバエ 1930年代のアメリカで、 ラセンウジバエが発生していた。 ラセンウジバエは、牛、馬などの家畜の傷に、 卵を産みつけ、幼虫が肉にもぐりこみ、 動物が苦しみ、 ひどいときには死んでしまうという害虫である。 このハエの通称は、「人食いハエ」と呼ばれ、 人間にも危害を与えた。 そのハエが、1回交尾すれば、 もうしなくなることから、 その当時の研究者が不妊化できないかと考えついた。 1950年ころ、 「X線でラセンウジバエを不妊化できるのではないか」 と考えられ、実際に行ってみたら、 それが研究室の段階でできた。 オランダ領キュラソー島で、 不妊虫を放したら、見事に成功した。 これが、アメリカで、 ラセンウジバエを根絶させる幕開けとなった。 そして、 1964年にアメリカ国内の根絶を達成し、 メキシコは1990年に根絶された。 沖縄のウリミバエ不妊虫放飼法の開始 ウリミバエは、もともと沖縄にいなかった 侵入害虫である。 1919年に八重山群島、 1929年宮古群島、 1970年久米島、 1972年沖縄本島、 1974年奄美群島と広がって行ったのである。 本島においては、 復帰前後にみられるようになった害虫である。 沖縄で、いちばん最初に不妊虫を放飼するのは 1975年2月に久米島と決定されたが、 それに先だってテストをしたのが 1974年10月久高島で行われた。 久米島で放された不妊虫は、 約3億匹、経費が3億円かかり、 「ハエ1匹が1円に相当した。」 が、しかし、 1976年にウリミバエを根絶することができた。 農薬にたよらない害虫防除法 1990年10月に沖縄群島の根絶が確認され、 1993年10月に沖縄県全域の根絶が確認された。 その仕事は、環境に優しく生態系を守りながら、 ウリミバエをすべて駆除した。 農薬では、できない仕事である。 それにいたる過程は、工夫と発見の連続であった。 今後もこのような、仕事がなされて行くならば、 農業の新しい進展はおこりうると考えられる。 放した不妊虫 5308000万匹。
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