商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 子どもの未来社 |
発売年月日 | 2005/03/30 |
JAN | 9784901330527 |
- 書籍
- 新書
ドキュメンタリーの力
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ドキュメンタリーの力
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「ドキュメンタリー映画って ・どのような種類のものがどれくらいの数あるのか? ・どのような人が携わっているのか? ・どこで鑑賞する(もしくは手に取る)ことができるのか? etc・・・」 「一方的に偏った大量の情報を発信し続けるマスメディア(...マスメディアに客観性...
「ドキュメンタリー映画って ・どのような種類のものがどれくらいの数あるのか? ・どのような人が携わっているのか? ・どこで鑑賞する(もしくは手に取る)ことができるのか? etc・・・」 「一方的に偏った大量の情報を発信し続けるマスメディア(...マスメディアに客観性なんてものはないことは承知)に対極をなす”思考を促す映像を発信するメディア”の必要性etc・・・」 この一冊を通じてドキュメンタリー映画というものに強い興味を持つことができた。 本の中には"イラク戦争"、"劣化ウラン弾"、"被爆"、"旧日本軍が投棄した毒ガス兵器"等...作者が取り扱ったテーマのことがいろいろ書かれいるのだけど...どれも深いところまで入り込んで書かれた内容なのでとても重かった...。 「もっともっと知らなければならない真実がたくさんある...。」 とにかく強烈な一冊だった...!
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福島県双葉郡には、「獏原人村」という集落がある。60年代のヒッピーカルチャーの開花と共に入植が進み、今に到る。美しい渓流が流れる村で、毎年8月の満月の日の週には、満月祭が開かれる。朝から晩まで、プリミティブな歌と音楽があふれる。とても大好きな場所だ。 数年前の満月祭で、六ヶ所...
福島県双葉郡には、「獏原人村」という集落がある。60年代のヒッピーカルチャーの開花と共に入植が進み、今に到る。美しい渓流が流れる村で、毎年8月の満月の日の週には、満月祭が開かれる。朝から晩まで、プリミティブな歌と音楽があふれる。とても大好きな場所だ。 数年前の満月祭で、六ヶ所村の核処理施設についてのワークショップがあり、参加した時に買った本。カバーの中に、日本の原子力発電所の地図と、ウラン高山から最終処理施設までのマテリアルフローが四つ折にして入っていた。今読み返して、思うことが多い本。以下抜粋。 P51 ハンフォード(アメリカの核実験場)の風下で生き延びていくためには、被害を無いものにするしかなかった。そして、その選択肢は汚染された大地の作物を売って人に食べさせるということなのだ。農業者として自分の作物が汚染されていることを認めたら、押しいいジャガイモを作っているんだという誇りが失われてしまう。被害者が加害者になり、同時にその両方を抱え込んだ存在となる。これが現代のヒバクの恐ろしさだと思った。人間は誇りがないと生きていけない存在である。その誇りを根底から揺るがすのがヒバクなのだ。そして、目にも見えず匂いもしないので、無かったことにすることが、気持次第で出来てしまう。 P55 イラクに打ち込まれた劣化ウラン弾、その原料だ得るウラン238は濃縮ウランをつくる過程で出てくる。日本はアメリカからこの濃縮ウランを買って原発の燃料にしている。アメリカでたまり続け、結局は兵器に転用された劣化ウランは、日本の原子力産業からでてき放射性廃棄物であるともいえる。これがイラクの子供たちを白血病やガンにしている可能性は高い。そして、長い非人道的な経済制裁は、私達の無関心こそが支えていたのだ。 P62 すべての映像には作為がある、当然、私が作っているものにもそれはある。それらを批判的に読み解くために、「メディア・リテラシー」が必要なのだ。メディアリテラシーは単なる技術ではない。(中略)視聴者を思考停止状態に追い込む映像メディアではなく、思考を促す映像、もう一つのメディアが必要とされているのだ。それは多様なあり方でよいはずである。
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『We』で鎌仲さんの話が聞けるかもしれないということになり(同僚さんがこないだ講演後に少し話をうかがってきた)、まだ鎌仲さんの映画を見たことがない私は、図書館にあった本を借りてきてみる。 子どもの未来社の寺子屋新書は初めて知る。子どもの未来社といえば、斉藤道雄さんの『きみはきみ...
『We』で鎌仲さんの話が聞けるかもしれないということになり(同僚さんがこないだ講演後に少し話をうかがってきた)、まだ鎌仲さんの映画を見たことがない私は、図書館にあった本を借りてきてみる。 子どもの未来社の寺子屋新書は初めて知る。子どもの未来社といえば、斉藤道雄さんの『きみはきみだ』の版元やなあと思う。 本は3人、鎌仲さんの「『ヒバクシャ 世界の終わりに』をつくる」、金聖雄(きむ・そんうん)さんの「『花はんめ』をつくる」、海南友子(かな・ともこ)さんの「『にがい涙の大地から』をつくる」のそれぞれの章に加え、鎌仲さんが「市民メディアとしてのドキュメンタリーの時代」を書いている。 3人が、どうやって映画をつくるようになったのか、ドキュメンタリーをつくるようになったのかを書き、自作の制作がどうだったか、自作で何を描こうとしたかを書いている。 私は3人のこのそれぞれの映画のタイトルは知っていたけど、まだ見たことがない。本でも手に入りにくいものはあるけど、映像作品は、動画がインターネットに比較的容易に掲載できるようになった一方で、「映画」、とりわけドキュメンタリー映画の多くは、見る機会や、DVDなどを借りる機会がやはり少なくて、アクセスしづらいところがある。 それでも、3人それぞれの文章を読んで、映画を見てみたいなーと思った。 表題の「ドキュメンタリーの力」のことを、鎌仲さんはこんな風に書く。 ▼ドキュメンタリーの力は、いいとか悪いの単純な価値判断を超えて、人間そのものがもつ矛盾を描くことにある。具体的に生きている一個人を深く描けば、そこには誰にでも通じる普遍的なものが横たわっている。…複雑な現実をわかりやすく、そして全体像を提示していくためには多少の簡略化も必要だ、でも、整理してもしきれない部分が残る。そこを描くことがドキュメンタリーの真実であると思う。(p.65) 「現実を創造的に再構成する映画手法」というドキュメンタリー。現実ってなにか、ほんまのことって何か。カメラを向けた時点で、それを意識する人もあるだろう。なにがしかのお金もいるし、制作はその制約もうけるだろう。撮るのは、撮りたいのは、なんでか。
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