商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | みすず書房 |
発売年月日 | 1999/02/17 |
JAN | 9784622046721 |
- 書籍
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本という不思議
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本という不思議
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商品レビュー
4.4
7件のお客様レビュー
795 詩人の長田弘さん2作目なんだけど、好きな作家に追加した。詩人なんだけど、読書に関するエッセイが多い。読書とか本とは何かという事の表現が素晴らしい。考えに考え抜かれて出された言葉だと感じた。 芥川は東京生まれ。読書家としての自分を芥川が確かにしてゆくのは、旧制一高に し...
795 詩人の長田弘さん2作目なんだけど、好きな作家に追加した。詩人なんだけど、読書に関するエッセイが多い。読書とか本とは何かという事の表現が素晴らしい。考えに考え抜かれて出された言葉だと感じた。 芥川は東京生まれ。読書家としての自分を芥川が確かにしてゆくのは、旧制一高に しかし、芥川にとって真の意味での学校だったのは、高校や大学という制度でなくて、本です。 本は、ただ本なのではありません。本は、ほんとうは、本という感受性の学校なのです。東京と いう街が、ちょうど街という感受性の学校であるように。 図書館の魅力は、どこにもないものが、そこにある魅力です。「世界のすべての年 すると言われたパリの国立図書館の厖大な蔵書は、一九九八年秋パリ東部、セーヌ川左岸の新国立図書館に引っ越しましたが、ずっとパリの心臓だった古い国立図書館がそなえていた魅力がどんなに危険な魅力だったかを活々と伝えるのは、フランス文学者鈴木道彦の『異郷の季節』。 老人は中国人の研究者で、家族はなく、パリに一人で暮らし、研究費をうけて、国立図書館所蔵の「敦煌(文書)」の解読に身を費やして、アパルトマンと図書館を毎日往復して、孤独な人生を過ごしてきました。「若くして老いてしまったこの人は、そのまま三十年近い歳月を、年齢 もとらずに歩いてしまったのであろう」。 図書館の時間が人生の時間のすべてだったことを、無口で控えめな老人がすこしも悔いていないことに、鈴木は胸を打たれます。 本というのはおもしろいもので、どんな本も読み手とおなじ背丈けしかもたない。読み手がこれだけであれば、本もまたこれだけなのです。ひとが本に読みうるのはつまるところ、その本を通して読みうるかぎりのじぶんの経験だからです。 本を読むとき、あるいは本を読むことを必要とするとき、ひとはそこに生きられた同時代の経験を、じぶんの経験を読もうとしている。たとえどんなに古い本であっても、本を読むとき、ひとがそこに読もうとするのは、いま、ここの経験を共にするものとしての言葉であり、読書はいわば経験という織物を、言葉という糸で織ることです。 本は出会いです。本を読むことは、誌された言葉をとおして、それまで知らなかった人に親しく出会うことです。 歴史というのは、なにも名だたることやおどろくべき変事のことではありません。平凡な日々からなる人生が、それぞれにとっての歴史です。平凡なというのは、アリーおばさんにならって言えば、誰も素晴らしいと思っていない素晴らしいもの、という意味です。 ジョージ・オーウェル(一九〇三-五〇)という人はちょっと変わった人で、その生き方に、 「――でない」「―ーでなかった」という在り方をまもった人です。オーウェルは大学にゆきませんでした。イートン校というもっとも有名なパブリック・スクー ルの奨学生でしたが、イートン校からケンブリッジ大学やオックスフォード大学へ進む道からみ ずからのぞんで逸れて、ノン・エリートとして、ビルマ(ミャンマー)に一警察官として赴任して います。そのビルマでの警察官暮らしを辞めた後、オーウェルはイギリスに戻っても、貸本屋の店員を したり、落ちこぼれを集めた学校の臨時雇いの教師などをして働き、社会的な自分をもとめない 生き方に、どこまでもこだわりつづけます。 興味ぶかいことに、イートン校で少年オーウェルは、生徒としてそのとき教師だったオールダ ス・ハクスリーに教わっています。イートン校でオーウェルは「良い」生徒でなく、またハクスリーも「良い」先生ではなかったようですが、少年のオーウェルは、ハクスリーの言葉の言いま わし、正確な使い方などにひときわつよい印象を受ける。 後に『一九八四年』『素晴らしい新世界』という、それぞれに二十世紀の精神を象どる絶望物語を書くことになる二人ですが、 本は、なにより読む人を語る。思わずして語ってしまう。本をひとが読むのでなく、本がひとを読むのです。 本というのは、匿名の文化の所産ではありません。どのようにも固有名をあらわさずにいないもの。心に焼き印をのこするの。それが本の秘めるちからです。
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詩人の長田弘さんが本の魅力を伝える一冊。 2015年に亡くなられたが、生涯言葉を愛し本を愛した人だった。 何のために人は、本を読むのか。——「極上の時間」を手にするために。 なぜ本なのか——じぶんのもつ時間というのが、読む本によって新しくされる。 「おなじ本をいくども読みか...
詩人の長田弘さんが本の魅力を伝える一冊。 2015年に亡くなられたが、生涯言葉を愛し本を愛した人だった。 何のために人は、本を読むのか。——「極上の時間」を手にするために。 なぜ本なのか——じぶんのもつ時間というのが、読む本によって新しくされる。 「おなじ本をいくども読みかえす、いくども聴きかえすことが、子どもたちは好きです。」 大人の本の読み方との違いを取り上げた「子どもの本の秘密」が良かった。 物語を演出家として読む子ども。一方で大人は物語を目撃者のように読む。繰りかえしというものの感じ方、とらえ方、生き方に怖れを抱いているのではないだろうか? 繰りかえしをやぶってくれる「何かいいこと」があるかないかではなく、繰りかえしをどのように生きるのか、を子どもの読み方は教えてくれる。 索引には長田弘さんが読んだ沢山の本、作家名の記載があり、幅広い読書をされていたことに驚く。 詩集『深呼吸の必要』をまた手に取りたくなった。
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一度読んでいたのだけれど、そんなこと忘れてまた読んでしまった。だがそれでよかったのだと思う。本を読むという行為について、著者は衒学的な姿勢を採らず自分の生活に根差した行為として考える。そこから何が導き出されうるか。私自身の読書をも振り返ってしまい、荒っぽい作業をしていたのだなと恥...
一度読んでいたのだけれど、そんなこと忘れてまた読んでしまった。だがそれでよかったのだと思う。本を読むという行為について、著者は衒学的な姿勢を採らず自分の生活に根差した行為として考える。そこから何が導き出されうるか。私自身の読書をも振り返ってしまい、荒っぽい作業をしていたのだなと恥じさせられる。本を消費するのではなく、一個の「不思議」を内包した存在として誠実に向き合い、自分自身がそこから変わってしまうことをも辞さない。そんな姿勢は今の時代分が悪い。だが、ここまで丁寧に考えたエッセイを私は闇雲に否定はできない
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