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「自分」を生きるための思想入門 ちくま文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 筑摩書房/ |
発売年月日 | 2005/12/09 |
JAN | 9784480421753 |
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「自分」を生きるための思想入門
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「自分」を生きるための思想入門
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「自分とは何か」という問いから、死生観、国家の形成まで話は広がっていく。ただ、話は著者の持論である「欲望」について終始語られており、しかもわかりやすい言葉で書かれているために一気に読める内容だ。 現代は大きな物語(社会の基礎を築いていた宗教や慣習、倫理観など)が崩壊して何に頼れば...
「自分とは何か」という問いから、死生観、国家の形成まで話は広がっていく。ただ、話は著者の持論である「欲望」について終始語られており、しかもわかりやすい言葉で書かれているために一気に読める内容だ。 現代は大きな物語(社会の基礎を築いていた宗教や慣習、倫理観など)が崩壊して何に頼ればいいのかわからない。でも、各人がエロースという欲望の達成に勤めれば、道は開かれる。それをニーチェやハイデガーの思想とともに説いている。
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p17〜19 デカルトの我〜我=第一と第二の私、キルケゴールの自己=第三の私 p21 フロイトの自我とエス=第二と第一の私 #第一の私は非言語であり、第二と第三の私は言語内存在である p22 岸田秀「自我=欲望」その欲望は自我を安定させようとする。それが欲望の本質。 #欲望の源泉...
p17〜19 デカルトの我〜我=第一と第二の私、キルケゴールの自己=第三の私 p21 フロイトの自我とエス=第二と第一の私 #第一の私は非言語であり、第二と第三の私は言語内存在である p22 岸田秀「自我=欲望」その欲望は自我を安定させようとする。それが欲望の本質。 #欲望の源泉は存在不安の解消である 欲望=物語の形をとる、物語は他人の借り物 #物語=言語である以上、創作に際限はない。そこで形成される自己も様々な物語の影響を容易に受けて安定しない。 p31 青年期のアイデンティティの希求は、社会にむき出しになり始めた自己が、拡大していく不安に対してとる態度。 p38 人間の他人に対する愛は、「私」への愛をテコとしてのみ育て上げられる。〜この「私」という欲望こそが人間の関係的な愛の源泉でもある〜。 p81 #「欲望存在」は「消費者」に近い違和感。欲望の根源には不安がある。「不安」が関係や物語による自己の対象化を欲望する。 p89 人間は自分の欲望が何であるかを、最後の最後までは分析できない存在〜 #人間の欲望の根源は不安の解消。 第4章不読 p154 世界とはある客観的な秩序を持った大きな容器〜哲学的な考え方からは〜もはや時代遅れ #対象は変わらずそこにあって我々の認識(期待)が変化する。 p161 古典的な「真理」や「客観」〜に対しては、すでにニーチェが徹底的な批判〜。〜ある共同体にとって都合のいいルールが「真理」と見なされていたにすぎない、〜「真理」や「客観」を“発見“することではなくて、どうやって〜新しいルールを合意として導くことができるか〜。 p177 〜「よい」ものか「悪い」ものかを決定するのは、〜面白いか、面白くないか、ということだけ〜 #エロス原理にはもう一つ同意できないが、これには同意。活動を動機づけるものをエロスと呼ぶか不安/期待と呼ぶかは大差ないのかもしれない。 p185 私の考えでは〜 p191 人間の生のエロス性の源泉は〜ルールによって成り立っているゲームであることからきています。 #ルールが先?? p203 〜「外圧」がものをいいます。 #外圧は存在を不安に導くから? p229 〜まずは自分の社会のルールが、少しでも開かれる方向にあるかどうかをよく注意することのほうが、より重要なことです。 p234 その理由は人間が時間を生きる存在〜。 #記憶機能が時間を措定する。時間はそれ自体で存在しない。 p235 死のルールがバラバラだと、共同体は成立しません。 p236 死が何であるかまったく分からないと、生というゲームの意味がなくなってしまう〜。 #自我の消滅として仮定された「死」は「生」という壮大な物語(意味)を打ち立てるが、死が生に意味を与えるのではなく、両者は不可分であり、死ぬからこそ生きられる。 p237 〜エピクロス〜 #中観に近い発想か。 p242 〜この社会的存在ということも、今では大した意味を人間に与えなくなって〜。〜エロスゲームの世界になりつつある。 #不安の解消は他者からの承認が重要。「私」が言語内存在である以上、利己的なエロスの追求では解消されないのでは? p251 〜じつは人間は自我というものに縛りつけられ、こだわっていることが一種の大きな緊張になっている。 p270 〜 二人の思想家は〜むしろ大きな問題をわたしたちの課題として〜。〜救済の物語を失って〜、人間はその自己中心性を超えられるかどうか〜 #自己中心であっても人間は他者の承認を自らの根拠とするため、期待の交換が成立しない領域で自己中心的に振る舞い続けることはできない。従って、自他相互の期待の交換が循環できる社会、世界こそが目指すべき社会像であり、自己像である。またその期待の循環のための物語(フィクション)を生み出し続けることが人間の営みの全てである。 #結果として著者の思想の起点とはややズレがあったが、自分の考えを深める時間を与えてくれた良著。著者の体験や思考経験が結晶したひとつの物語。願わくば、こうした智者と話してみたいものである。
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2017.7.27 もはや私のバイブルと言ってもいいかも知れない。私の哲学はここから始まっているような気がする。時たま読み直すが、私の中にある重要な考え方や概念はここから始まっている気がする。それぐらい、影響を受けた。 人間は欲望存在である。欲望は関係に先行する。他者とは何か。関...
2017.7.27 もはや私のバイブルと言ってもいいかも知れない。私の哲学はここから始まっているような気がする。時たま読み直すが、私の中にある重要な考え方や概念はここから始まっている気がする。それぐらい、影響を受けた。 人間は欲望存在である。欲望は関係に先行する。他者とは何か。関係幻想。ロマン世界。現象学的世界認識。実存とは個々人の課題である。私はまだこの考え方の確信を掴みきれていない、特に竹田さんの「欲望」という概念は我々が普段使う欲望という概念よりももっと深く広い意味を持っているように思えるし、人間はエロス可能性を求めるというのも、この現代社会における薄っぺらい渇望の話だけの問題ではない。早く欲望論出してくれないかなー。
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