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サド侯爵夫人/朱雀家の滅亡 河出文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 河出書房新社/ |
発売年月日 | 2005/12/20 |
JAN | 9784309407722 |
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サド侯爵夫人/朱雀家の滅亡
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サド侯爵夫人/朱雀家の滅亡
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戯曲文体。サド...の序文は澁澤龍彦。 二作とも、盲信者が狂人化を経て聖域へ行くようにみせている。 一方で、女性を理想主義とリアリストの間のバランス感覚ある生き物として描くことで、逆に男性の自己満足的かつ本能的(時代を読まない)美学追求者たる哀れな性を浮き彫りにしている。 ...
戯曲文体。サド...の序文は澁澤龍彦。 二作とも、盲信者が狂人化を経て聖域へ行くようにみせている。 一方で、女性を理想主義とリアリストの間のバランス感覚ある生き物として描くことで、逆に男性の自己満足的かつ本能的(時代を読まない)美学追求者たる哀れな性を浮き彫りにしている。 いい歳した者のイノサンスや狂気は、階級や身分という生来の社会的立場や容姿、センスや才能等に甘んじている上で許容(独善的理屈による理解)•愛せるものであり、双方の外的あるいは内的な何かが一つでも欠け、劣化(変わらないものが相対的にそう見える)したと感じてしまえば、終わり=後はお一人でどうぞ、現実は見たくない、の状況である。 サド...に関して澁澤は昇華したように見せるサントテと表現し、朱雀...に関しては後記で三島が”完全な受け身の忠誠”がしらずしらず狂気と滅びの忠節に移っていくと言っている。 サド侯爵夫人も朱雀家侯爵の妻も、夫を愛してるかもしれないが敬ってはいない。そして現世に残るのは夫の方なのが皮肉。孤独なのは皆同等。 それにしても、この世界観を美装エンタメ作品に作り上げる三島由紀夫は凄い。 価値観が激変(革命・戦争)する現実社会にうまく対応し生きる人物と、それができず(せず)内面が社会と隔離していく人物を見事に描き分けている。
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サド侯爵夫人は新潮文庫の「サド侯爵夫人/わが友ヒットラー」で既読だが、「朱雀家の滅亡」は初めて。 エウリピデスの「狂えるヘラクレス」をモチーフにしているらしい。 「狂えるヘラクレス」は見たことがないが、ギリシャ神話のヘラクレスの話は何となく知っている。エウリピデスの戯曲は、ヘラ...
サド侯爵夫人は新潮文庫の「サド侯爵夫人/わが友ヒットラー」で既読だが、「朱雀家の滅亡」は初めて。 エウリピデスの「狂えるヘラクレス」をモチーフにしているらしい。 「狂えるヘラクレス」は見たことがないが、ギリシャ神話のヘラクレスの話は何となく知っている。エウリピデスの戯曲は、ヘラのせいで一時気がふれたヘラクレスが妻子をその手にかける部分だそうだ。 この「朱雀家の滅亡」で描かれる狂気は、すぐにそれとは分からない。 何をもって「狂気」とするかは、結局は他者によって判断されるものだ。 周囲から見てどんなに狂った振る舞いであっても、そう言われる本人にとっては理に適っていることなのだろう。逆に言えば、本人にとってはどんなに筋が通っていることでも、他者に「狂気」と映るならばその人は「狂人」となる。 経隆は自らの美学に忠実に、徹底して何もしなかった。どんな状況であろうと周囲がどれだけ騒ごうと、自身を枉げることなく、滅びを受け入れた。 彼の振る舞いをどうとらえるかは、人それぞれだと思う。 私が経隆を見て、真っ先に思い出したのは「山猫」のドン・ファブリーツォだ。 彼は新たな時代を歓迎しつつも、自らは滅びゆく階級の中に身を置いたままだった。その姿は優雅で魅力的だったが、周囲の人間にとってみればその振る舞いが不可解で苛立つこともきっとあったのだろうなということに、「朱雀家の滅亡」を読んで初めて思い至った。 経隆の「狂気」について、見方を変えればきっと美しいのだろうと思う。ただ私には、彼のその「狂気」がもたらした様々な別れがあまりに切なく、やりきれない気持ちになった。 経隆よりもむしろ、第三幕のおれいの言動の方がよほど共感できたのは、私が現代人だからなのか、それとも女性だからなのか。その両方なのかもしれないな。 主題は何にせよ、戯曲でも変わらない美しい文章にほれぼれする。また時間を置いて読み返すと思う。
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幸福というものが泥の砂金のように地獄の底にもきらめいているものだとわかった。私にとっての幸福とは何でしょう。空想は自由。 神がじっとあなたを見守っておいでになって、誘いの糸を垂れておられた。あなたは神の釣人の糸にひっかかった魚です。何度かハリをかけられてつられながら、あなたは実の...
幸福というものが泥の砂金のように地獄の底にもきらめいているものだとわかった。私にとっての幸福とは何でしょう。空想は自由。 神がじっとあなたを見守っておいでになって、誘いの糸を垂れておられた。あなたは神の釣人の糸にひっかかった魚です。何度かハリをかけられてつられながら、あなたは実のところ、いずれは釣りあげられことをご存じだった。浮世の水に輝く鱗を、神の御目のきびしい夕日のうちに、身もだえして呻かせながら、釣りあげられるのを望んでおいでだった。
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