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長谷川四郎 鶴/シベリヤ物語 大人の本棚
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商品詳細
内容紹介 | 内容:猫の歌. 海坊主の歌. 張徳義. 鶴. 選択の自由. 赤い岩. 兵隊の歌. シルカ. 掃除人. ラドシュキン. ナスンボ. 逃亡兵の歌. 復員列車の終着駅の歌. 林の中の空地. 正直じいさんの歌. おかし男の歌. 解説 小沢信男著 |
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販売会社/発売会社 | みすず書房 |
発売年月日 | 2004/06/29 |
JAN | 9784622080497 |
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長谷川四郎 鶴/シベリヤ物語
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長谷川四郎というのは不思議な作家だ。簡潔でむだのない日本語を使って書いているのに、ちっとも日本の作家らしいところがない。それどころか、読んでいるうちに、そんなことを忘れさせてしまう。広大などこまで行っても果てのない平原や、凍てつくような寒気の中を寡黙に生きる男たちの姿は、その外在...
長谷川四郎というのは不思議な作家だ。簡潔でむだのない日本語を使って書いているのに、ちっとも日本の作家らしいところがない。それどころか、読んでいるうちに、そんなことを忘れさせてしまう。広大などこまで行っても果てのない平原や、凍てつくような寒気の中を寡黙に生きる男たちの姿は、その外在的な条件によって人間の中身までも変えられてしまっているのか、日本文学に出てくる大方の主人公とは、似ても似つかない。 シベリヤ抑留、酷寒の地での収容所生活という経験から想像される暗い色調や、悲惨な状況から必然的に引き起こされる陰惨な人間関係などというステロタイプ化された要素は微塵もない。長谷川四郎は、そのシベリア行きについて「その時のぼくは、シベリヤへ持っていかれたかった方なんだ。革命のロシアをちょっと見たい気もしたし」と、いろいろなところで語っている。皆が皆故郷に帰りたい一心でいたであろうその時に、シベリヤ行きを希望していたなどというのは、つくり話のようにも聞こえるが、『シベリヤ物語』の中に通奏低音のように響く音調は、それがむしろ事実に近かったであろうことを推測させる。 「わたしは戦争がなかったならば、小説みたいなものを書くハメにおちいらなかったろう」と後に回想しているとおり、長谷川四郎の作品には兵隊の生活をモチーフにしたものが多い。しかし、野間宏の『真空地帯』のように軍という非人間的な機構を告発するような作品は書かなかった。自分を棚に上げて他人を告発したり、またその逆に自分の非を懺悔してみたりするのは、戦争を描いた作品にはつきものである。そのどちらにも戦争に加担してしまった自分を自己弁護する精神が透けて見える。また、歴史的条件や個人の性向を抜きにした戦争という極限状態に置かれた人間一般という抽象論に陥ることもなかった。 四郎の眼は、日本や日本人のほうばかりに向けられてはいなかった。戦争といういわば非常時にあっても、多くの日本人の行動原理は平時とさほど変わらない。卑俗なものはとことん卑俗に、おべっかつかいはいっそうその度が増すにすぎない。それよりも彼の眼が見たのは、酷寒のシベリヤに生きる無名の異国の人々である。日本軍によって奴隷のようにこき使われる中国人の脱出行を描いた「張徳義」。怪我をして炭坑夫ができなくなった煉瓦工場の番人を語る「ラドシュキン」。力の用い方が日本人やロシア人とちがうため、乱暴に見られるが、ほんとうは「よい人間」である蒙古人「ナスンボ」と、彼の眼がとらえた男たちのスケッチは、日本の小説にはないくっきりとした輪郭を見せている。 いずれも、苛酷な運命を背負いながら、それに押しつぶされることがない屈強な男たちである。膂力もあれば、胆力もある。誠実で心やさしい人物が、皮肉な運命の前に傍目には悲惨とも滑稽とも見える人生を送らなければならない。作者は、共感は寄せながらも過度に彼らに寄りそわない。観察者の位置から彼らの悲劇的な人生を淡々と物語るだけだ。乾いた筆致に淡いペーソスが滲み、凍てついた空気の中に、時折ペチカの暖かみがまじりはするが。 作者の分身とも思える日本の兵士も登場する。この場合も人物の設定は大きくは変わらない。町の広場にあけた穴にたまった凍り付いた汚物を十字鍬で掘る作業を言いつかった「掃除人」の男も、ロシア人の嘲笑を浴びながらもノルマを百パーセント果たす気力と体力を持つ。ロシア語の能力を生かし、脱走を果たしながら、シベリア行きを目論んでのこのこ帰ってくる「選択の自由」の兵士も、どこか泰然自若とした風貌が日本人離れしている。 長谷川四郎は、林不忘、牧逸馬、谷譲次の三つの名前を使い分けた作家長谷川海太郎の四番目の弟である。アメリカでの無頼な生活を『テキサス無宿』に活写した兄と比べると、収容所の強制労働を主題にした四郎のそれは一見地味に見えるが、逆境の中、一本筋のとおった男の横顔を描くとき、血は争えぬものだという感懐を抱かされる。しかし、知名度とは逆に、弟のほうがクールで、その小説は今もって古さを感じさせない。近頃の小説に飽き足らないものを感じている人にお勧めしたい、読書子の渇を癒す短編集である。
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