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本当はこわいシェイクスピア “性
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本当はこわいシェイクスピア “性"と“植民地"の渦中へ 講談社選書メチエ312

本橋哲也(著者)

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本当はこわいシェイクスピア “性

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社/
発売年月日 2004/10/12
JAN 9784062583121

本当はこわいシェイクスピア

¥1,650

商品レビュー

3.7

4件のお客様レビュー

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2022/07/24

いっとき流行った「本当はこわい」人気にあやかったのだろうか。「シェイクスピア劇の背景」で良かったのではなかろうか。テキスト読解に多角的視点を与えてくれるのはありがたいが、著者が自分の言葉に酔ってる感があって星2。巻末の参考書一覧は役に立つと思われる。

Posted by ブクログ

2012/08/31

まずタイトル。『本当はおそろしい~』。シェイクスピアで恐ろしくない作品をむしろ教えていただければ幸い、と思ってしまっていた。 切り口は植民地及び性。 最後にはポストコロニアリズムを取り入れての考察になっていた。 そう言う考え方もあるね、という感じは受けたが、現在演じられている状況...

まずタイトル。『本当はおそろしい~』。シェイクスピアで恐ろしくない作品をむしろ教えていただければ幸い、と思ってしまっていた。 切り口は植民地及び性。 最後にはポストコロニアリズムを取り入れての考察になっていた。 そう言う考え方もあるね、という感じは受けたが、現在演じられている状況下とことなる上演形態であるということを忘れているように思われた。 俳優は少年だったことを加味すれば、特に最後の「クレオパトラ」はおそらく、女性役を演じることのできる少年が最後にやれる役柄だっただろう。だからオクテーヴィアより妖艶で怪しげな演技もできただろうと思われる。オクテーヴィアがいかにもな淑女として描かれるのと対照的だという話があったが、それは演じる少年が未熟であるから、役者に合わせた台詞になっているということも、考えに一つ含んでおく必要があるように思った。 研究する側はたびたび忘れてしまうことだが、シェイクスピアは演劇作品だ。流動的だし、演技によって意味はめまぐるしく変わる。時の情勢のいかんによって改ざんもされよう。どのような状況下で演じられたら、どのような意味合いを持つのか、ということを今一度再確認しておく必要がある、とこれを読みながら痛感した。

Posted by ブクログ

2012/02/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

いわゆる南北問題。 第二次大戦後、多くの植民地が政治的な独立を果たしたにもかかわらず、 なお多くのアジア、アフリカ、南アメリカ、太平洋の国々が、 それまでと変らない、あるいはそれまで以上の低開発と搾取にさらされてきたのが、 いわゆる南北問題なのだが、 大企業主導の金融グローバリーゼーションともいわれる多国籍企業の独占支配体制に見られるように、 いまや先進資本主義諸国の支配は、国際的な資本や情報と文化の操作によって、 より広範な支配体制を確立し、経済的な貧富の差を拡大させている。 それは、地球の北と南との差であると同時に、同じ国のなかでも富裕な少数と貧困な多数との格差を顕在化させ、 富める者と貧しい者との差をますます広げているといえるだろう。 南北問題は、世界中のいたる処へと肥大化したのだ。 ヨーロッパ近代を植民地主義に基づく他者の創出と周縁化による自己成型のプロセスと捉えること、 言い換えれば、植民地主義(コロニアリズム)が<自己>を理想的なものとして確立するために、<他者>を生産し周縁化しようとしてきたとすれば、 周縁化された他者の側からする歴史の再構築という視点に立つポストコロニアリズムは、 そうやって排除されてきた外部が逆に中心を侵す過程に注目していくことになろう。 共同体の境界領域は、その共同体を底辺で支える行為や習慣を、境界線の外にあるとされた人々に押し付けることで形作られる。 近代においてはそれが植民地支配や先住民差別となって現出したのだが、 ポストコロニアリズムはその境界領域の形成プロセスを逆行させ、境界侵犯と自我の解体に照準を合わせ、 国境を越えた大企業主導の世界資本主義によるグローバリゼーションの現況下に対して、 激しく異議申し立てをしていくことになる。 植民地主義とそれに対する闘争は、むしろ情報や資本の世界大の発達によって激化しており、さまざまな局面で再生産され拡張され、<新植民地的(ネオコロニアル)状況>と化すなか、 この闘争は、自己対他者という二項対立を解体し、 他者が自己のアイデンティティの構成要素として自己の内部に入り込むプロセスを、 主体構成の交雑と相互干渉の過程を、ダイナミックに生きるものとなる。 ポストコロニアルの<ポスト>とは、永遠の現在進行形として、このような闘争の絶えざる過程を意味することになるだろう。

Posted by ブクログ

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