商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 小学館 |
発売年月日 | 2004/03/20 |
JAN | 9784093796811 |
- 書籍
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逆説の日本史(11)
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逆説の日本史(11)
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商品レビュー
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5件のお客様レビュー
信長暗殺後諸侯の立ちまわり、秀吉の施策の説明後、歴史学界や歪んだ歴史教育の批判がされており、少し冗長と感じましたが、最後の秀吉朝鮮出兵について著者の考えを論じるためには必要な頁だったのだと感じました。 私自身、朝鮮出兵は晩年の秀吉の失策として認識していましたが、本書を読み、単に...
信長暗殺後諸侯の立ちまわり、秀吉の施策の説明後、歴史学界や歪んだ歴史教育の批判がされており、少し冗長と感じましたが、最後の秀吉朝鮮出兵について著者の考えを論じるためには必要な頁だったのだと感じました。 私自身、朝鮮出兵は晩年の秀吉の失策として認識していましたが、本書を読み、単に秀吉単独の責任ではなかったこと、現代にも通じるものがありますが、国際間の調整はかなり難しいことだと改めて感じました。
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2004年刊行。本書は秀吉論。 秀吉出自論としては、足軽でないことはもとより、農民ではなく、むしろ、賎民・漂泊民とすら言われている現在では、本書の解読は斬新な論とは全くもって言えないし、史料を含む検討分量も不足している。その他もまあ素人とすればこんなものでしょう。 著者が本シリーズで古代史にて描いていた斬新さとは比ぶべくも無いが、それもまた史料不足を推理で埋められたからなのだなという確認ができた感じ。
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第11巻は秀吉についてだ。 秀吉は本能寺の変という日本史を変えるアクシデントのために,これまでの人生設計とは180度違うことをしなければならなくなった。多くの人は,秀吉の軍事的な努力・才能は認めている。平たく言えば,明智光秀・柴田勝家らを滅ぼし,徳川家康を屈服させたことだ。しかし,それに優るとも劣らず,ある意味で信長以上に必要だったのが,自己の権力を正統なものとする,『正統性の創造』なのである。テロリストが,あるいは外国の軍隊が東京を制圧したところで,われわれ日本人が簡単にそれに従わないのと同じことだ。『信長以上に』というのは,戦国大名としてスタートした信長ですら,『成り上がり者』『元は陪臣の出』などと白い目で見られていたのだ。その信長に比べてすら,秀吉は低い低い階級なのである。そのため秀吉は『天下人にふさわしい正統性』を創出しなければならなかった。秀吉がまず選んだのは,天皇の権威を利用して,自己の権威を高めることだった。平安の昔から,藤原氏がとってきた有力な手段だ。そのためには,朝廷から高い位階・官職をもらわねばならない。秀吉は,藤原一族の近衛家の猶子となり,関白に任官する事に成功した。しかし,猶子と言っても藤原一族の一員に過ぎない。また,関白になっても,関白より藤原氏の氏の長者の方が上だ。これは,秀吉と言えども,藤原家に行けば,氏の長者に頭を下げなければならないということだ。しかし秀吉は藤原氏の血を引いていない。氏の長者にはなれない。ではどうすればいいのか。そこで考えたのが,豊臣という姓を天皇から下賜された。中臣鎌足が天皇から藤原を下賜されたのと同様に。 秀吉の行った事の一つに,刀狩がある。それがどのように現代人に影響を及ぼしているか,著者は語っている。日本人の欠点として指摘されているのが,日本人はどうも自分の国を守るという意識に欠けると言うことだ。つまり,侵略者が来たら誰が自分の身を守るのかという問いに対し,世界中で最も鈍感な国民と言えるかもしれない。ではいつから日本人はそうなったのか。本来なら”平和”を声高に唱えるべき宗教団体までもが武装していた時代があったのである。日本民族は本来は好戦的な民族である。戦国時代の日本には,自分の権利が侵されるなら,相手を殺すことも辞さないというのが,常識であり,仏教集団にすらあったのだ。その節目となるターニングポイントが実は刀狩である。刀狩以降,武士以外は武器が持てず,あらゆる意味での”戦い”は,武士の仕事に限定された。簡単に言えば,農民は田畑を耕し,職人は製品を作ることだけ考えていればいいのであって,国をどうやって守るかなどは武士に任せておけば良いということになったのだ。こうした意識が幕末まで続き,すっかり定着した頃に,日本近海に欧米列強の侵略の尖兵である黒船が出没するようになった。刀狩というクスリが効き過ぎたのだ。 この状態を明治維新政府は『武士の廃止』『国民皆兵』という荒治療で改善したが,今度は,武力で何でも解決できるという錯覚に陥った。その錯覚が醒めたのが昭和20年の敗戦で,そこから戦争に対する嫌悪感もあり,刀狩状態に戻ってしまった。ちなみにアメリカはその設立当初から開拓時代が長く続いた。そのため,本来は牧場で馬や牛の世話をする役目のカウボーイ(牧童)が警察のいない開拓地では丸腰では危なくてつとまらないので,ガンベルトを帯び,ライフルを持つ,すなわち農民が武装する国家だった。『武装する事=自分の権利を守る事』がアメリカのDNAであって,ヨーロッパや日本のように歴史が長ければ,秀吉のような武装解除者が現れたかもしれない。奴隷解放者のリンカーンが出たが,今の所武装解除者は出ていない。 韓国のことについても,評価している。それは,韓国は今も戦時体制下の国と言うことだ。朝鮮戦争は終わったのではない。休戦しているだけだ。だからいつ戦争になってもおかしくない。そのためには国民の愛国心を常に高揚させておく必要がある。その要請から作られたのが,韓国の国定教科書だ。国定教科書というのは,愛国心の涵養を第一の目的とするため,どうしても自国の恥には目をつぶる傾向にある。日本も戦前の国定教科書には,日本が七世紀に白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた事は書かれていなかった。そうしたなか,韓国人が一番恥と思っているのが,近代化は日本なしには有り得なかったということだ。だから小学生の頃からそれを徹底的に否定する教育をする。そうした教育を受けた人間が大人になって歴史を歪曲したような主張をしてくるのだ。そのような間違った主張をしてくる外国人に対し,我々は良く歴史を勉強し,誤解の無い様,誤解を解くようつとめるのが,我々の責務であると常に思うのだ。
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