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日本人の歴史意識 「世間」という視角から 岩波新書
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日本人の歴史意識 「世間」という視角から 岩波新書

阿部謹也(著者)

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日本人の歴史意識 「世間」という視角から 岩波新書

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店/
発売年月日 2004/01/22
JAN 9784004308744

日本人の歴史意識

¥792

商品レビュー

3.9

9件のお客様レビュー

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みんなの感想まとめ
  • 日本人歴史意識
  • 世間視点
  • 学問と生活の分断
  • 批判的視点
  • アカデミズムの限界
  • 歴史学の事例
  • 親鸞と西鶴
  • 日本文化の再考
  • 社会常識の影響
  • 知識人の責任

日本人の歴史意識を「世間」という独自の観点から掘り下げた本で、著者は日本の学問がいかに生活世界と切り離されているかを批判的に論じています。特に、学者たちが「世間」に生きながらもその常識に従って学問を運営している点に注目し、アカデミズムが「世間」と対峙する姿勢の欠如を指摘しています。著者は親鸞や井原西鶴などのテクストを通じて、歴史学の事例を用いて「世間」に対する批評的な視点を提供し、私たちがどのように「世間」を学問の対象とできるのかを問いかけています。議論はやや複雑で見通しが難しい部分もありますが、著者のスタンスは、私たち自身が属する「世間」を無視せずにその問題に切り込むための重要な試みと言えるでしょう。

※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。

2010/05/28

西欧の個人に対して、…

西欧の個人に対して、日本の世間という概念を用いて歴史の捉え方に関して論じている。その中で、たとえば、日本人の時間意識は円環(世間)で、それに対し、欧米人の時間意識(個人)は直線であると指摘している。世間というものは、日本人にとって生活の基盤であり、それを通して歴史を見ているという...

西欧の個人に対して、日本の世間という概念を用いて歴史の捉え方に関して論じている。その中で、たとえば、日本人の時間意識は円環(世間)で、それに対し、欧米人の時間意識(個人)は直線であると指摘している。世間というものは、日本人にとって生活の基盤であり、それを通して歴史を見ているということに気がつきにくいのかもしれない。歴史をどのように考えていくべきなのか考えるきっかけになった。

文庫OFF

2026/01/28

日本人は歴史好きと言われるが、それは自国のかつて存在した偉人達に格好良さや憧れを抱き、物語としてそうした偉人を見ているという点も大きいと思う。そもそも歴史認識という言葉で見れば、日本人の認識する歴史と、日本の周辺の国々の間には常にズレが生じ、それが周辺諸国との関係性修復の壁となる...

日本人は歴史好きと言われるが、それは自国のかつて存在した偉人達に格好良さや憧れを抱き、物語としてそうした偉人を見ているという点も大きいと思う。そもそも歴史認識という言葉で見れば、日本人の認識する歴史と、日本の周辺の国々の間には常にズレが生じ、それが周辺諸国との関係性修復の壁となる事が多い。だが、それは何も日本人だけに特有の特徴ではないし、寧ろ日本よりも強烈に自国の歴史を都合よく作り替え、それが周辺諸国と全く異なる認識である事など当たり前だ。直ぐに思い浮かぶのは中国であろうが、中国とは時代時代の権力者は血縁関係やしがらみの無い他人である事が多い。力があるものが天下を取り、前権力者を殺害するなどして、全く新しい権力者が生まれる(易姓革命)。だからその都度自分たちに都合良い歴史に「作り替える」事が当たり前に行われてきた。前の権力者の実績を否定し、自分たちの行った事を恰も歴史的•奇跡的な大事業として記録する。それが何千年も繰り返されてきたのだから、そもそも何が事実であるかを確かめる方が難しい。要するに歴史とはその真実性は常に不安定であり、脆いものであるという事だ。因みに今を生きている自分から見れば昨日も過去、1時間前も過去だから、はっきり正確に記憶していない歴史だ。 本書はその歴史に対する日本人の意識がどの様に形成されてきたか、という視点で記載された書籍である。歴史は紛れもない事実(過去の実際にあった出来事)だから、複数の良識ある人間(歴史家)が集まって認定されたものが、より真実に近い歴史だろうと誰もが思う。だがその集まりでさえ、日本の歴史なら同じ思考、近い考え方を持つ日本人が作り出したものだ。果たしてそれが唯一無二の正確性を帯びているか、または似た様な思考を持った人間同士の創作かと言えば、限りなく後者に近いと言える。そこに前述した様な本来の意味での創作的活動が加われば、その国、その地域独特の歴史というものが出来上がるに違いない。 本書は歴史を捉えるにあたり、先ずは日本人の意識を形成する上で重要な役割を果たす「世間」に対する考え方、接し方から入っていく。日本人の生活から切り離せない隣人との関係「世間」。日常的に贈り物を貰えば返礼品を渡すという行為があるし、何か人にして貰えば何かお礼をしないと「いけない」という感情が生まれる。そして「タダより安いものはない」という言葉が示す様に、何かを返さないとならない感情に強く囚われる。この「贈与」と「互酬」の関係から歴史を紐解いて行こうとする内容となっている。それ自体は視点としては非常に興味深く読み進められる内容である。正直なところ私が読む前に抱いていた感覚とはやや異なる(私にとっては)新しい感覚であったと言えばその通りで、100%同意出来るかと言えばそうでもない。というより私には内容がやや難しく感じられるたという方が正しいかもしれない。確かに日本という島国環境を考えれば、世間とのつながりは生きていく上で非常に重視される関係性であり、それがうまくなければ生きづらさに直結するから、誰しもそれが考え方の重要な影響要因になるのは解る。だからと言ってそれがそのまま歴史意識そのものを支配する訳ではないから(本書も勿論それだけとは言っていない)、その感覚で読んでしまうと、頭がはてなマークだらけになる。あくまで一つのモノの見方というレベルにとどめながら読む分には非常に面白い内容だと思う。

Posted by ブクログ

2019/09/21

著者の「世間」論にかんする著作のひとつで、とくに日本人の歴史意識と歴史学を考察の対象としています。 日本の学問の輸入的性格を批判的に論じている本はこれまでにも多くありましたが、そこでしばしば目にするのは、西洋の学問が生活世界のなかに根づいているのに対して、日本の学問は生活から切...

著者の「世間」論にかんする著作のひとつで、とくに日本人の歴史意識と歴史学を考察の対象としています。 日本の学問の輸入的性格を批判的に論じている本はこれまでにも多くありましたが、そこでしばしば目にするのは、西洋の学問が生活世界のなかに根づいているのに対して、日本の学問は生活から切り離されてしまっており、二つの世界が関係をもつことなく併存しているというものです。著者は、こうした日本の学問の見方にある部分では同意しつつも、それにくわえて日本の学者たちがきわめて日本的な「世間」を生きており、アカデミズムがそうした世間的な常識にしたがって運営されていることを指摘しています。これは、たんに日本の学問がそれを営む人びとの生活から切り離されているというだけでなく、学問がそうした「世間」と向きあいこれと対峙するようなスタンスをもっていないことへの批判を含んでおり、より踏み込んだ議論になっているということができるように思います。 本書は、親鸞や井原西鶴などのテクストを通じて「世間」を対象に分析をくわえつつ、そこに生きる人びとが「世間」とどのようなしかたで向きあっていたのかという点にも目を向けます。こうした「世間」に対する批評的まなざしこそ、この国の学問にとって重要だということが、著者の専門である歴史学の事例を踏まえながら論じられています。 著者の「世間」論は、われわれにとってなじみ深い「世間」を対象としながら、「世間」のなかで生きているわれわれ日本人が「世間」を学問の対象とすることはどのようにして可能なのだろうかという、すぐれて学問論的な問いを基軸にしているため、すっきりとした議論にならず、やや見通しがきかないように感じられることがすくなくありません。しかしながら、われわれがそのうちに属している「世間」を度外視して、たんなる学問の対象として「世間」を分析することの不毛性と、反対にわれわれがすでにそのうちに身をどっぷりと浸している「世間」から身を引き離すことなく実感信仰におぼれてしまうことの危険性の両方を避けつつ「世間」という問題に切り込むためには、著者のようなスタンスをとることは避けがたいのではないでしょうか。その意味で、著者の「世間」論の読みにくさは、著者の責任というよりもむしろ事柄そのものに起因するものというべきでしょう。

Posted by ブクログ

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