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日本語基礎講座 三上文法入門 ちくま新書
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日本語基礎講座 三上文法入門 ちくま新書

山崎紀美子(著者)

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日本語基礎講座 三上文法入門 ちくま新書

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 筑摩書房/
発売年月日 2003/04/10
JAN 9784480061065

日本語基礎講座

¥770

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2024/07/05

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Posted by ブクログ

2011/10/26

「象は鼻が長い。」この文の主語は?ときかれて答えられるだろうか。象?鼻?象の鼻?学校で習う文法ではこの文を明快に説明しにくい。半世紀前,これを解決すべく,主語という概念を否定する斬新な日本語文法が提唱された。主語述語は西洋の言語を説明するための文法概念で,日本語にそれを無批判に取...

「象は鼻が長い。」この文の主語は?ときかれて答えられるだろうか。象?鼻?象の鼻?学校で習う文法ではこの文を明快に説明しにくい。半世紀前,これを解決すべく,主語という概念を否定する斬新な日本語文法が提唱された。主語述語は西洋の言語を説明するための文法概念で,日本語にそれを無批判に取り入れるのは誤りである。建築畑出身という異色の国語学者,三上章はそう主張した。これは,あまり知られていない三上文法を紹介する一冊。  この文法では,主題という概念を導入。主題とは「…について言えば」というようなその文のテーマである。「象は鼻が長い。」では「象」が主題であって,象についていうと,鼻が長いのだ,という内容だと分析できる。ここで「鼻が」が主語であるとは言わない。「鼻が」は格助詞「が」によりつくられた主格補語であり,形容詞「長い」の主体が「鼻」であることをあらわすと説明する。文の中心は「長い」であって「鼻が」はそれを修飾するという関係になる。格の概念は従来の文法と同様である。もっとも,格も西洋文法を輸入した概念には違いない。だが格はその体言が文中で他の語といかなる関係にあるのかを示す役割をもつから,言語横断的な普遍性をもつのだろう。  主題は多くの場合,係助詞「は」で提示される。「は」は主題を提示すると同時に,格助詞「がのにを」の代行もできる。「象は鼻が長い。」では「は」は属格を表す助詞「の」の役割をしているともいえる。「私は学生です。」では「が」(主格),「日本は温泉が多い。」では「に」(位格),「納豆は好きですか。」では「を」(対格)である。主題は句読点を越えて影響し,一度「は」で主題を提示すれば,異なる格も自由自在に表せる。例えば「この本は分量が多いけど,面白いよ。分かりやすく書いてあるし,読んでみたら。」では,「は」ひとつで「の(分量)」「が(面白い)」「に(書いてある)」「を(読む)」と四役をこなしている。  「おれはうなぎだ。」「妻は男の子なんだ。」などの,いわゆる「うなぎ文」を考えるにも主題という概念は有効だ。うなぎ文は,単独で意味をもつ文ではなく,場所等の状況や,それまでの話の流れから,主題が何であるかわかっている前提で用いられる。食堂での客の発言だからこそ「おれはうなぎだ。」の意味が明らかになるし(主題は注文内容),「次は女の子が欲しいな。」「奥さんの希望は?」を受けて「妻は男の子なんだ。」と言うから話が通じる(主題は希望する赤ん坊の性別)。このように,主題は明示されない場合もある。  三上文法といえば,この主語廃止論が中心だが,ほかにもいくつか興味深い話がある。一般に動詞は,目的語をとる他動詞,とらない自動詞に分けられ,他動詞は受身になるが自動詞はならないとされる。しかし日本語では自動詞も受身になる。「子供に泣かれて閉口した。」「こんな早く来られちゃかなわん。」などで,これを「はた迷惑の受身」という。普通の受身は「まともな受身」。「ある」など,どちらの受身にもならない自動詞を所動詞,どちらかの受身になる動詞を能動詞と区別する,など。  この本の難点。著者は根本的な誤解をしている。例えば,文法に外れた例を挙げ,このような表現は好ましくない,とする。「象のほうが鼻が長い。」は「が」が続いて使われているから正常な文章とはいえないという。充分自然な日本語じゃないだろうか。また「文法違反」という項まで立てて,中島敦「山月記」の末尾の一文などをあげ,文の途中で主格が変わる不都合をあげつらう。現に使われている言葉を調べ,規則性を抽出し体系づけるのが文法なのに,文法に沿わない文章を否定するのでは本末顚倒だ。文法に反する文章が現に通用しているなら,その文法の方が間違っているというべきだろう。  これは辞書も同じ。文法や辞書の記述に合っていないからといって,間違いと決めつける言説を目にするが,これはおかしい。文章にとって重要なのは,規則や規範に従っていることではなく,意味を伝えることである。文学作品では,一つの意味にしかとりようのない表現は好ましくないことすらある。学者や辞書編纂者に,正しい日本語を確定する権限などありはしない。  文法とは,言語現象を説明するための解釈を提示するもののはず。三上文法を正しい文法と信じて疑わず,誤った学校文法を排すべし,とする筆者の姿勢には違和感を禁じえない。

Posted by ブクログ

2008/06/17

三上先生の文法解説を引き継ぐ、日本語文法本。「て、に、を、が・・・」などを8つの格として説明してあるところは、目から小さな鱗が落ちた感じ。

Posted by ブクログ

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