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心では重すぎる カッパ・ノベルス失踪人調査人・佐久間公シリーズ
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 光文社 |
発売年月日 | 2003/01/25 |
JAN | 9784334075026 |
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心では重すぎる
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商品レビュー
4.3
4件のお客様レビュー
佐久間公シリーズ。テ…
佐久間公シリーズ。テンポが良くて、一気に読みました。量は苦になりません。
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人間を自在に操る不思…
人間を自在に操る不思議な力を持つ少女の背後を追う、佐久間公が主人公の重厚なハードボイルド。ただ、作者はこの作品で、SM(サゾ・マゾ)に係る詳細な記述を試みているが、最終的には、この少女の立場や心情等は、いまいち深く理解出来なかった。
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ここのところ大沢作品を読み漁っている。 新しい作家の作品に手を出すにはもう小説を読みすぎていて臆病になっているし、かといって古い小説を読み直して感慨に浸るほど読んでもいないから。 とすると、見知った作家の新しい作品を読むしかない。 そんな時は大沢在昌の作品を選ぶことが多い。バラ...
ここのところ大沢作品を読み漁っている。 新しい作家の作品に手を出すにはもう小説を読みすぎていて臆病になっているし、かといって古い小説を読み直して感慨に浸るほど読んでもいないから。 とすると、見知った作家の新しい作品を読むしかない。 そんな時は大沢在昌の作品を選ぶことが多い。バラエティに富んだ作風。どの作品でも魅力的なキャラクターを生み出し、骨太の背景とテーマを時には軽く、特には重厚に、時には淡々とかき分けられるのはこの人の稀有な実力だと思う。 説教臭くてあまり好きではなかった佐久間シリーズ。 「雪蛍」がどうしても肌に合わずにこの作品は敬遠していたのだが、100円コーナーにあったので手に取った(スミマセン)。あっという間に読み終えてしまった。 少年漫画の世界で一時代を築いたまのままるという漫画家の行方を捜して欲しい、という依頼を受ける佐久間。 それとは別に、佐久間が理事を務めている薬物依存矯正施設「セイル・オフ」に入ってきた雅宗という少年のことが気にかかりそちらも独自に調査を進めていく。ある少女を愛し、隷属するようになり、彼女のせいでクスリに溺れたと告白する雅宗。また渋谷へ帰ったら彼女のもとでクスリを始めてしまう、とおびえている。 そのふたつの調査がいつしか絡み合い、渋谷にたまるチーマー、ヤクザ、マンガ雑誌の編集者、マンガ家を目指す青年らの姿が描かれていく。 少年マンガ雑誌の実態を克明に表現し、その業界に「つぶされた」まのままるというマンガ家の姿は哀れを誘う。 「わたしが悪いの?」と佐久間に問う少女(それが誰かはお楽しみに)に佐久間がはっきりと言う。 「ちがう。どうあるとしても、それは彼が選んだ結果だ。(中略) つまりは彼の責任だ」と。 自分の人生には自分しか責任が取れないのだ、と少女に語る佐久間の言葉に重みを感じるのは、「探偵は職業じゃない、人生だ」と言い切れる彼ならではだろう。 そんな彼だからこそ、調査の途中ですれ違う渋谷に集う少年少女たちの関係のありかたが理解できず怒りを覚えるのだ。 全ての伏線と謎ががっちり結びついたラスト、そしてその更に上を行く謎を明かす本当のラストシーンまで、全登場人物の心がしっかりと描かれていて、その心の落ち着く先を探す人々の叫びが聞こえてくる。 佐久間と、その20年来の友人の沢辺が交わす会話には年月と互いへの信頼感が溢れていて読んでいて心地がいい。おそらくこれが「友情」というものなのだろうと思う。 そして調査の途中で知り合った遠藤組の二代目と佐久間が交わす会話にも、そんな空気が少し漂う。 遠藤は30半ばという設定らしいが、40を越えた佐久間と同じ感覚を持つフィールドにいるのだ。 「いっしょですね。どいつもこいつも。自分が仲間を守る気なんかこれっぽっちもないくせに、都合がいいときだけ、仲間をあてにする」 「もしかすると、それが友情だと連中は思っているのかもしれません。そしてまちがいだと思う我々のほうが別の世界の住人だというだけで」 私はいった。 「もしそれが本当なら、俺は坊主にでもなりますよ。信用できない奴に背中を預けてなくよりは、念仏を唱えていたほうがマシです」 遠藤は呟いた。 若者と大人の感覚・考え方の相違というのはどんな時代のどんな小説でも描かれるテーマだが、このシリーズにおいては佐久間公というひとりの探偵が若者から大人(むしろ若者には理解不能なおじさん)へと年を取ることで、佐久間自身がもがき、理解しようとあがき、言葉にしてくれるとことで鮮やかにその相違と現代性を見せてくれる。 今回は佐久間、沢辺、そして遠藤の3人がその「大人」の渋さと哀しみと骨っぽさを見せてくれたと思っている。 あまり好きではなかったこのシリーズがこんなにも重く心に残るということは、やはりわたしも年をとったということなんだろう。いつかわたしも彼らのように「大人」であることを誇りに思える日がくるであろうか。 そのためにはきっと、佐久間のようにもがき、あがき、苦しまなければいけないのだろう。
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