1,800円以上の注文で送料無料

小林秀雄全作品(13) 歴史と文学
  • 新品
  • 書籍
  • 書籍

小林秀雄全作品(13) 歴史と文学

小林秀雄(著者)

追加する に追加する

小林秀雄全作品(13) 歴史と文学

1,760

獲得ポイント16P

在庫あり

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介 内容:歴史と文学
販売会社/発売会社 新潮社
発売年月日 2003/10/10
JAN 9784106435539

小林秀雄全作品(13)

¥1,760

商品レビュー

3.5

2件のお客様レビュー

レビューを投稿

2022/01/22

小林秀雄 「歴史と文学」昭和15年〜16年の作品集(著者38才〜39才) 新潮社の全作品シリーズは、難しい言葉の意味が 下に書いてあって、文庫より読みやすい 表題「歴史と文学」は 学校教科書に採り入れるべき名随筆 名言「歴史は〜平均にならされ、整然と区別のついた平野の様なも...

小林秀雄 「歴史と文学」昭和15年〜16年の作品集(著者38才〜39才) 新潮社の全作品シリーズは、難しい言葉の意味が 下に書いてあって、文庫より読みやすい 表題「歴史と文学」は 学校教科書に採り入れるべき名随筆 名言「歴史は〜平均にならされ、整然と区別のついた平野の様なものではない〜常に努力して己れの鏡を磨かなければ、本当の姿は決して見えてこない〜だからこそ、歴史は古典であり、鑑なのである」 唯物史観を批判「歴史とは人類の巨大な恨みに似ている。歴史を貫く筋金は、僕等の愛惜の念であり、因果の鎖ではない」 「富永太郎の死」著者のストレートな感情に心打たれる 「歴史と文学」 *歴史は 偶像化された言葉〜その時代の思想界を宰領し、思想界から偶像視された言葉 *学校での歴史〜出来るだけ正確に暗記せよと言われてきた事は、間もなく忘れてしまえと命令されてきた様なもの *歴史は人間の興味ある性格や尊敬すべき生活の事実談に満ちている *歴史は二度と繰り返しはしない。だからこそ僕等は過去を惜しむのである *歴史とは人類の巨大な恨みに似ている。歴史を貫く筋金は、僕等の愛惜の念であり、因果の鎖ではない(唯物史観批判) *僕等の望む自由や偶然が打ち砕かれる処に、僕等は歴史の必然を経験するのである *歴史は〜平均にならされ、整然と区別のついた平野の様なものではない。僕等がこちらから出向いて登らねばならぬ道のない山である *常に努力して己れの鏡を磨かなければ、本当の姿は決して見えてこない〜だからこそ、歴史は古典であり、鑑なのである 「(山下)清君の貼紙絵」 *何とも言われぬ空白な感じ〜の美しさ *色感の上にだけ、異常に延びた彼の才能の美しい形 「道徳について」 *孤独とは〜常に人前にさらすべきものだ *嘘をつく時は、自信のない時だということは知っておく方がよい *自信は〜雪の様に音もなく、いつの間にか積もった様なものでなければ駄目だ。そういう自信は〜おへその辺りに出来る〜頭はいつも疑っている方がよい 「事実の新しさ」 *知識が深く広かったなら〜それだけ深く広く誤っている〜そういうパラドックスを孕んでいるものこそ、人間の歴史である *現代に生きて現代を知るという事は難しい〜流れる者流れを知らぬ〜歴史では、従来の知識の上に新しい知識を築けない場合がある 「維新史」 *歴史は精しいものほどよい。さじが持っている力が解らないと歴史の本当の魅力は解らない *先輩達の鮮血淋漓たる苦闘の跡をつぶさに辿ることは〜僕らの義務のように思う 福沢諭吉「文明論之概略」 文明とは何かを概説した本ではなく、文明という言葉に〜操られる人々の滑稽さを見て、その騒ぎの中で文明をどのように論じたら適切かを論じた 「富永太郎の死」 *記憶とは、過去を刻々に変えていく策略めいた能力である〜当時、本当に富永の死を悼んでいたのだろうか、という答えのない疑問に苦しむ *富永の霊よ、安かれ。僕は再び君に就いて書く事はあるまいと思う

Posted by ブクログ

2011/09/29

 歴史と文学について     歴史は繰り返すということみな口々に知った風にいうが、一度起こってしまったことはもう取り返しがつかない、覆水盆に帰らずということは誰もが経験的に知っていることだ。こうした生きた教養というものを銘々が肝に銘じて知っていることだろう。   歴史は決して二度...

 歴史と文学について     歴史は繰り返すということみな口々に知った風にいうが、一度起こってしまったことはもう取り返しがつかない、覆水盆に帰らずということは誰もが経験的に知っていることだ。こうした生きた教養というものを銘々が肝に銘じて知っていることだろう。   歴史は決して二度と繰り返しはしない。だからこそ過去を惜しむ。たとえば、子供に死なれた母親は、子供の死という歴史的事実に対し、どういった態度をとるか考えてみれば明々白々なことだろう。母親にとって、子供の死という歴史的事実は、いつ、どこで、どういう原因で、どういった条件下で起こったかということだけのものでは決してありえないだろう。かけがえの無い命というものが失われ、2度とはもう取り戻すことはできないという感情が伴っているはずだ。母親の愛情が、歴史的事実を現実化し具体化し客観化すると言わなければならない。したがって、どんな人間にも立派な歴史家たる才能の最小限度を持っているのである。

Posted by ブクログ

関連ワードから探す

関連商品

最近チェックした商品