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純粋理性批判(下) 岩波文庫
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純粋理性批判(下) 岩波文庫

イマヌエル・カント(著者), 篠田英雄(訳者)

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純粋理性批判(下) 岩波文庫

1,353

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 1983/10/01
JAN 9784003362556

純粋理性批判(下)

¥1,353

商品レビュー

4.6

7件のお客様レビュー

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2010/05/28

中巻の続きです。カン…

中巻の続きです。カントは、人間の直感を認めつつ、一方で、人間理性が、われわれの認識能力を越えるものに、認識能力を適応することができないと説きます。すなわち、人間理性は、ただ感性にあたえられるものを直観し、これに純粋悟性概念を適応するにとどまるのである。要するにそれまでの理性万能主...

中巻の続きです。カントは、人間の直感を認めつつ、一方で、人間理性が、われわれの認識能力を越えるものに、認識能力を適応することができないと説きます。すなわち、人間理性は、ただ感性にあたえられるものを直観し、これに純粋悟性概念を適応するにとどまるのである。要するにそれまでの理性万能主義に<枠>を与えたわけです。これに反論するのがフィヒテ・シェリング・ヘーゲルとなるわけですが。

文庫OFF

2025/10/28

純粋理性批判の最終巻である。純粋理性の限界と、実践理性批判への橋渡しとなるような内容になっている。 純粋理性批判は世界認識のあり方を考究した著作である。一方、実践理性批判は世界をどう認識するべきかを検討するものであり、それは必然的に道徳や神学と関連が出てくる。 カントの「自然...

純粋理性批判の最終巻である。純粋理性の限界と、実践理性批判への橋渡しとなるような内容になっている。 純粋理性批判は世界認識のあり方を考究した著作である。一方、実践理性批判は世界をどう認識するべきかを検討するものであり、それは必然的に道徳や神学と関連が出てくる。 カントの「自然神学は純粋理性に達する」とか、アウエルバッハの出現を予言するものであるし、彼の「神は証明できない(が、信仰の余白を残した)」という態度はニーチェの一歩手前とすら言える。 近代哲学の源流となるような著作であり、やはり読んでおいて損はないだろう。 最近はAIに質問できるので、分からないところの解明に役立った。

Posted by ブクログ

2024/08/04

「理性」の使用における境界線の定義をまとめあげた巻といえます。 また「理念」が、理性を使うために有効であること。理性はそれ自体では、単に誤謬を含んだ思弁的な活動しかしないので、「理念」を掲げてあげることで、それ自体に含まれる合目的性が、理性にとってはありがたい拠り所になるであろ...

「理性」の使用における境界線の定義をまとめあげた巻といえます。 また「理念」が、理性を使うために有効であること。理性はそれ自体では、単に誤謬を含んだ思弁的な活動しかしないので、「理念」を掲げてあげることで、それ自体に含まれる合目的性が、理性にとってはありがたい拠り所になるであろう、的なことを言っていると思われる。 ただ、そこに突如として、カントにとって絶対的価値を含んでいる言い方で「道徳」が出てきたのは理解できなかった。 なんだかんだで、理性の限界、理性の使い所、あたりを総まとめ的に書いてある巻と言えましょう。 総括 カントは、なにか「あるもの」を「ある」とするためには証明をしなければならないという大前提に立っていて、 そのために使用するのは「理性」であるけれども、「理性」も間違いをおかすし、その理性に依って「神」や「来世」を証明しようとしたらできないよね、と。「実在性=経験」というものなしには皆が納得する証明はできず、神や来世は、実在は証明できないから、「証明の外=理性を適用できる外」のことですよ、と線引きをした。 結果的に、では人間社会はどうやって進歩するの?というテーゼが宙に浮いてしまっている。西洋の社会を進歩させたのは言うまでもなく、神という「理想像」があったればこそであった。 私がこう思ったのは、カントが下巻で唐突に「人類が無条件に従うのは道徳である」みたいなことを言い出したからだ。 カントは、その「宙空」に突如として道徳王国を持ってきたように思えてしまう。 そして、その道徳王国なるものは、神の意志にかなったものであるとカントは言ってるのだけど、存在を証明できないとした神と、これまたその絶対性を証明できない「道徳王国」を「絶対」として入れ込むのは乱暴ではないか?と思える。 「神は死んだ」と宣告される前の時代だから仕方がないことなのか。 ここに私は、カントが都合よく、神の存在を証明の外に置いたが、間接的に「道徳王国」で生きてるとした、現代から見ると、なんとも倒錯的な論理を展開しているよう見える。

Posted by ブクログ