商品詳細
内容紹介 | 内容:様々なる意匠 |
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販売会社/発売会社 | 新潮社/ |
発売年月日 | 2002/10/05 |
JAN | 9784106435416 |
- 書籍
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小林秀雄全作品(1)
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小林秀雄全作品(1)
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世捨て人とは世を捨てた人ではない。世が捨てた人である。人は世を捨てようと願うことはできない。『様々なる意匠』1929 聞くだけ読むだけで実行しないから、平凡な助言に飽き飽きするのだ。いかに多くの実行したことのない助言をすでに知っているかを反省したまえ。実行は平凡なものだから名助...
世捨て人とは世を捨てた人ではない。世が捨てた人である。人は世を捨てようと願うことはできない。『様々なる意匠』1929 聞くだけ読むだけで実行しないから、平凡な助言に飽き飽きするのだ。いかに多くの実行したことのない助言をすでに知っているかを反省したまえ。実行は平凡なものだから名助言は平凡に見える。『作家志願者への助言』1933 思い出のない処に故郷はない。『故郷を失った文学』1933 確かなものは覚え込んだものにはない、強いられたものにある。強いられたものが、覚え込んだ希望に君がどれ程堪えられるかを教えてくれる。『新人Xへ』1935 肉体が土という故郷をもつように、精神は伝統という故郷をもつ。肉体が大地からあまり高く飛び上がれないように、精神は伝統(人類の記憶)から出てそう遠くにはいけない。『ルナアルの日記』1935 歌舞伎。人間は形の美しさで充分に感動することができる。『演劇について』1936 人間は自己を空想する。しかし自分の姿が漸次よく見えてくると、自己をあまり語らなくなる。これを人間が成熟してくるという。『文科の学生諸君へ』1937 不安なら不安で、不安から得をする算段をしたらいい。学生時代から安心を得ようなどと虫がよすぎる。『僕の大学時代』1937 その時代の人々が、いかにその時代のたった今を生きぬいたかに対する尊敬の念を忘れてはいけない。『戦争について』1937 音楽が好きだから、演奏会ではよくうとうと眠る。絶対の屈従によって、心の自由を獲得する。『山本有三の真実一路を廻って』1938 子供が大人の考えているほど子供でないのは、大人が子供の考えているほど大人でないのと同様である。『清君の貼紙絵』1940 美しい花はあるが、花の美しさはない。『当麻』1942 人間の化けの皮を、あんまり剥がすともはや人間ではなくなる。現代人は何かにつけ、現実暴露が、聡明な人間の特権の様な顔をしているが、暴露された現実には、もはや人間の影がなくなっている。『或る夜の感想』1950 喜びを新たにするには悲しみが要り、信を新たにするには疑いが要る。『好色文学』1950 古代の土器。人間は文字という至便な表現手段を知らずに、いかに長い間、優美や繊細の無言の表現を続けて来たか。▼絵を見るとは、解っても解らなくても一向平気な一種の退屈に堪える練習である。理解する事とは全く別種な認識を得る練習だ。『偶像崇拝』1950 埴輪。こんがりと人形が焼けて、あの眼や口から煙が立ち上る時の職人の悦びを思って楽しむ。『埴輪』1952 不安がなければ不安を発明してやる。これが青年の特権である。『青年と老年』1963 好き嫌いの感情はでたらめのようだが、論理のようなでたらめではない。赤い花を青いという奴はいない。▼美の鑑賞に標準はない。美を創る人だけが標準をもつ。▼文明には人為的な改良や革命では死んでしまうものがある。ショックを受けると滅びてしまいなかなか回復できない。▼金持の商人は道楽という道楽をしつくして、学問が最後の道楽になった。『小林秀雄対話集』 自分も若い日に死のうと思ったことがあるが、自分は死ねないということを学んだ。僕の生命は僕の所有ではないからである。小林秀雄
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相手が何者で、何をしようとしているのか。 それを語る自分は何者で、何をしようとしているのか。 小林秀雄はしっかりと見ようとしていた。 そして見えたものはこのようなものだった。 「私に恐ろしいのは決して見ようとはしないで見ている眼である。物を見るのに、どんな角度から眺めるかという事...
相手が何者で、何をしようとしているのか。 それを語る自分は何者で、何をしようとしているのか。 小林秀雄はしっかりと見ようとしていた。 そして見えたものはこのようなものだった。 「私に恐ろしいのは決して見ようとはしないで見ている眼である。物を見るのに、どんな角度から眺めるかという事を必要としない眼、吾々がその眼の視点の自由度を定める事が出来ない態の眼である。」(p169「志賀直哉」) 「私は、ここで問題を提出したり解決したり仕様とは思わぬ。私はただ世の騒然たる文芸批評家が、騒然と行動する必要の為に見ぬ振りをした種々な事実を拾い上げ度いと思う。私はただ、彼等が何故にあらゆる意匠を凝らして登場しなければならぬかを、少々不審に思う許りである。」(p136「様々なる意匠」) 「私はどんな作家を語ろうとしても、その作家の思想の何等かの形式を、その作品から抽象しようとする安易を希いはしないが、如何に生まの心を語ろうとしても、語るところが批評である以上、抽象が全然許されないとなると問題は恐ろしく困難になるのだある。志賀氏はかかる抽象を最も許さない作家である。」(p165「志賀直哉」)
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難解ではあったが、どことなく感じられる飄々とした雰囲気が好ましい。衒学趣味に満ちているかと思いきや、知識に裏打ちされた確たる信念の発露として読める。
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