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エバリスト・カリエゴ
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エバリスト・カリエゴ

ホルヘ・ルイス・ボルヘス(著者), 岸本静江(訳者)

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エバリスト・カリエゴ

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 国書刊行会
発売年月日 2002/01/28
JAN 9784336042873

エバリスト・カリエゴ

¥2,750

商品レビュー

3.5

2件のお客様レビュー

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2014/11/26

私はフィギュアスケートのファンなのですが、今季(2014年シーズン)「エバリスト・カバリエに捧ぐ」で滑っている選手がいるんですよ。 私にとってエバリスト・カバリエといえばボルヘスが書いていたけど読んでないという認識。 ではいい機会なので読んでみよう。 エバリスト・カバリエはブエ...

私はフィギュアスケートのファンなのですが、今季(2014年シーズン)「エバリスト・カバリエに捧ぐ」で滑っている選手がいるんですよ。 私にとってエバリスト・カバリエといえばボルヘスが書いていたけど読んでないという認識。 ではいい機会なので読んでみよう。 エバリスト・カバリエはブエノスアイレスのパレルモをほとんど出ず、29歳で夭折した詩人。語る世界では、薔薇色に塗られた扉の場末の酒場で男たちが踊り、そして短刀を持って男たちが闘う。 題名からはエバリスト・カバリエやその作品を解説しているようだが、内容はアルゼンチンの場末の様相とかタンゴの歴史とか先祖たちがどこから来たのかとかついてとか。 30ページ程度の作品を「私の作品としては長編だよ。30ページもあるからね」なんて言ってるボルヘスが、割とふつうに長文?書いています(笑) 違う国にロマンを感じながらパレルモに居続けたエバリスト・カリエゴを「自分のことを分かった一瞬間訪れ彼は本当のエバリスト・カリエゴになった」(かなり意訳)としたり、他の作品で読んだようなボルヘスの思考もみえる。 「短刀」「騎馬民族考」「場末の詩」などいくつかの章は、エバリスト・カバリエはあまり関係なくボルヘスの小説集に分類される。 タンゴは踊るための音楽だが、場末の売春外から生まれた(という説がある)から、当時は上流社会に受け入れられず、街の女たちは踊らず、街角で男たちが粋に踊っていた、としている。 ボルヘスはピアソラのタンゴはお気に召さなかったようですが、踊るための曲であり場末でナイフを持った男たちへのノスタルジーと、 ヨーロッパの哀愁が加わり音楽のための音楽となったピアソラのタンゴでは確かに好みの方向が違うのでしょうね。 以前読んだ何かの本でボルヘスが「私のこの作品を読むときは、タンゴの○○を聞きながら読んでね」と語っていたと思うのですが、それはピアソラだったか??作曲者名も曲名も短編名もちょっと探し出せない…。どなたかお分かりになる方教えてください。 さて、それを踏まえてこの曲で滑るフィギュアスケーターですが、本当に端正な滑りの選手なので、「場末の売春宿で生まれて粋な男同士が踊った」ものとはまたちょっと違うのかもしれないが(笑)。 https://www.youtube.com/watch?v=d8wgnA06frs#t=12

Posted by ブクログ

2011/08/17

私はどうにも分かりにくい本に固執する傾向がある。まあ,それは致し方がない。自分にとって理解しやすいものというのは自分の理解の範疇にあるということで,そこから新しい思考は生まれにくいと思ってしまうからだ。日本ではボルヘスはビッグ・ネームの作家だと思うが,決して分かりやすい作品を書く...

私はどうにも分かりにくい本に固執する傾向がある。まあ,それは致し方がない。自分にとって理解しやすいものというのは自分の理解の範疇にあるということで,そこから新しい思考は生まれにくいと思ってしまうからだ。日本ではボルヘスはビッグ・ネームの作家だと思うが,決して分かりやすい作品を書く人だとは思えない。難解だというのではなく,とらえどころがないといった方がいい。 そんなボルヘスの本も少しずつ収集しては読んでいる。しかも,早めに日本語訳された本の方が装丁などが素敵だったりするので,ある意味ではコレクションとして所有しているだけで一種の悦びがある。さて,ボルヘスがなぜとらえどころがないかというと,彼にとってはジャンルというものが無意味だからだ。本書もタイトルだけからすると意味不明。それもそのはず,「エバリスト・カリエゴ」とは彼の祖国アルゼンチンのほとんど無名の詩人の名前だからだ。 しかも,中身を読んでいても,それが詩人の伝記だなんてことはまったく忘れてしまうような記述も少なくない。「なぜ私はこんな本を読んでいるんだろう」と思ったりしながらも,この本のどこかに何かが隠れているはずだ,あるいはこの本を読むことで,何か自分でも予測できないような思考が現れるかもしれない,とひたすら活字を目で辿る。そんな読書。 ちなみに,ボルヘスが本書で取り上げたこのカリエゴという詩人は若くしてなくなって,ブエノスアイレスの(おそらく下層階級の集まるような)地区で過ごしたという。本書でもカリエゴの詩がその「場末」な雰囲気をよく表現していることが評価されている。訳者の解説のなかでも,カリエゴの作品が,そしてボルヘスの本書がある種のブエノスアイレスという都市を記述したものだという。都市研究,そのなかでも都市の記述というのは私の研究領域でもあるが,私にはとても本書を都市誌であるとは読めなかった。それは基本的に東京という都市しか経験していない私にとってはあまりにもブエノスアイレスは異質だからだろうか。

Posted by ブクログ

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