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鏡と皮膚 芸術のミュトロギア ちくま学芸文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2001/04/10 |
JAN | 9784480086341 |
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鏡と皮膚
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鏡と皮膚
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商品レビュー
4.7
7件のお客様レビュー
正直難しくてよくわからなかったことの方が多いのだけど、それを理解するために、関連した本をこれから読み進めていきたいと思える本だった。
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タイトルから刺激されて、少し私見を。鏡とは一枚の磨かれた板だ。皮膚とは肉体の表面を包む膜だ。どちらも、現実と接する最も表象の部位だ。鏡は映す。絵画と同じ二次元の中に。しかし、我々は、そこに奥行きを認識し、無限に見ようとすれば、全てを映し出す装置である事を知っている。皮膚とは感覚の...
タイトルから刺激されて、少し私見を。鏡とは一枚の磨かれた板だ。皮膚とは肉体の表面を包む膜だ。どちらも、現実と接する最も表象の部位だ。鏡は映す。絵画と同じ二次元の中に。しかし、我々は、そこに奥行きを認識し、無限に見ようとすれば、全てを映し出す装置である事を知っている。皮膚とは感覚の集まる繊細な生理的部位だ。我々は、無意識に膚で、外気を感じ、音に触れ反応している。肉体は精神に直結する影響力を持っている。肉体によって精神は動かされていると云えば、全面的には賛同されないと思うが、衣食住は全て、肉体と深く関係している。そして、肉体は外界を探る触覚器でもある。何かに触れ、重さを感じ、温度を測る事で、皮膚は快不快にまつわる趣味判定を試行し続ける。鏡の映像は、我々の肉体器官を客観的に反省させる。視覚は個人的な機能に過ぎず、他人が持つ視覚と同一では無いことは、科学的にも正しいだろう。その不確かな器官が見せる世界を、再度、鏡を見ることで二重の確認をする事になる。絵画を例にすると、筆を使って、キャンバスに色を加え、修正をして、完成まで幾度も上塗りを繰り返す。画家のイメージにある映像が、脳裏に作られたイメージである事から、認識された想像上の二次的副産物を意味し、キャンバス上に鏡のように模倣反復され作品化される。その二重の認識行為が、鏡を見る事と同義であると言っても良いのではなかろうか。現実は、私と云う存在なしに実在している。それは、他者の証言によって信じられる命題であって、私が認識する現実が、他者を通じて二重に認識される命題なのだ。結論を仮に言うならば、現実が実在する事を確認しようとする我々の認識行為は、あくまで個人的な内に留まる経験を指し、決してその認識が真理である事を立証できない。そして現実は、その実在を疑えないほどに、ありありとその存在感を我々に示そうと働きかける。我々は現実の実在を二重に確認しながらも、現実から二重に欺かれる存在ではないか。肉体は結果の出ない実験装置なのだ。
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今まで美術史畑で、作品を軸にした論文ばかり読んでいたせいかその自由な思考連鎖に驚いた。テーマに合わせて、作品の歴史的背景をムシして取り上げ、様々な理論と接合することにより、著者神話を作り上げている部分も否めないが、新たな問題意識を持たせられた。 今まで当たり前に受容してきた絵...
今まで美術史畑で、作品を軸にした論文ばかり読んでいたせいかその自由な思考連鎖に驚いた。テーマに合わせて、作品の歴史的背景をムシして取り上げ、様々な理論と接合することにより、著者神話を作り上げている部分も否めないが、新たな問題意識を持たせられた。 今まで当たり前に受容してきた絵画作品が薄っぺらいモノに表象されていること、美術史として取り上げてしまうことで、観者の視線がないがしろにされていることもあるということなど、改めて感じさせられた。 「表層にこそ意味がある」作品自体に視線を向けず、解説書を読んで分かった感覚に陥ってはいないだろうか。シュールレアリスムに関わらず、そんなことを思わされた。
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