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水晶 他三篇 石さまざま 岩波文庫
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商品詳細
内容紹介 | 内容:水晶.みかげ石.石灰石.石乳 |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店/ |
発売年月日 | 2001/12/14 |
JAN | 9784003242230 |
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水晶 他三篇
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水晶 他三篇
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商品レビュー
4.4
15件のお客様レビュー
精緻な自然描写で知ら…
精緻な自然描写で知られるオーストリアの作家シュティフターの短篇集『石さまざま』より4篇を精選。
文庫OFF
表題作の「水晶」に激しく心揺さぶられてしまった。 こんな小説は、初めて。 近代小説にありがちな緩急に乏しい冗長な語りなので、前半は何度も話の筋を見失い、あれ?なんの話してるんだっけ?と少し戻って読み直す、ということを繰り返していました。 だけど、突然、ものすごい力によって、がし...
表題作の「水晶」に激しく心揺さぶられてしまった。 こんな小説は、初めて。 近代小説にありがちな緩急に乏しい冗長な語りなので、前半は何度も話の筋を見失い、あれ?なんの話してるんだっけ?と少し戻って読み直す、ということを繰り返していました。 だけど、突然、ものすごい力によって、がし!と心を掴まれ、その後はすっかり物語に翻弄されてしまいました。とにかく登場人物たち(特に子どもたち)の運命がどこに向かっているのか心配で心配で、私ときたら、まるで彼らの保護者かと言いたくなるくらいに完全に気が動転し、途中、息が苦しくなるほど。終盤で父親が言葉を詰まらせる姿は自分かと思った。 しかも主要人物たちだけじゃなくて、村人AとかBにまで感情移入してました。 いったいどういう仕掛けなのかしら。ビックリです。読み終わってみると、それほど衝撃的な事件が起こったわけでもないし、特別ドラマチックな描き方をしているとかいうわけでもないのですが。 あんまり驚いたので、何が他の小説と違うんだろうとつくづく考え込んでしまった。 きっと、序文で作者が言っている「偉大なものと小さなものとについてのわたしの見解」が見事な形で語られていたからでしょうかね。 淡々として抑制された文章でいながら、眼前に風景が広がるような絵画的な描写。その端々に、大いなるものの力に見守られつつ日々を懸命に生きている人々への、作者の深い愛と敬意を感じます。 あとの3編もぜんぶ心にじんわりきて良かったけれど、「水晶」ほどのインパクトはなかったな。 読みながら、自分の故郷がしきりに思い出されました。 私が18になるまで住んでいた小さな小さな町。 子どもの頃は全然好きじゃなかったし、特別に美しいところというわけでもないし、この作品に描かれているヨーロッパの小村とは、周囲を山に囲まれた不便な町ということくらいしか共通点はないです。日本中のあちこちにみられる、ごく普通の過疎の町。 でも、この本を読んでいると、今まで思い出すことすらなかった山歩きの感触とか、常におじいさんやおばあさんたちが身近にいる感じとか、広い空や空気や地面が季節ごと時間ごとに変化しつつ、それでいて全然変わらない様子とか、そういうものが突然思い出されて、何か大切なものを失ったような、なんとも言えない気持ちになりました。 そういうものによって自分が作られた、ということを急にハッと思い出したという感じかなぁ。 あるいは、自分の中にそんなものが今もしっかり残っていることに、突然気付かされて驚いたのかも。 この本には、読んでいる者の中にある自然とのかかわりについて、たとえそれが残滓みたいなものだとしても、呼び起こす力があるように思います。著者の自然に対する愛が物語中にあふれているからだと思いますが。 日本語訳はイマイチだと私は思った。 っていうか、もともと6編あるうちの2編を勝手に削っておきながら、その2編のあらすじを全部オチまでぶちまけている訳者に、けっこう腹が立ちました。 なんという暴挙。 岩波文庫、こういうの多くない?
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19世紀オーストリアの作家・風景画家シュティフター(1805-1868)の短編集。1853年出版の『石さまざま』より。 「水晶」 静かにそして厳然とそこに存する雪山のデモーニッシュな存在感と、圧倒的な自然の力の中で健気に手を取り合う幼い兄妹の"人間的"な姿...
19世紀オーストリアの作家・風景画家シュティフター(1805-1868)の短編集。1853年出版の『石さまざま』より。 「水晶」 静かにそして厳然とそこに存する雪山のデモーニッシュな存在感と、圧倒的な自然の力の中で健気に手を取り合う幼い兄妹の"人間的"な姿と、その対照が印象的な短編。自然の非人間的な威力の中で、かの兄妹のように"人間"は進むべき「方向」を喪失してしまう。しかし、そのような情況下にあってなお二人の少年少女が"人間的"に映るのは、兄コンラートが決して失うことのなかった自らの置かれた情況に対する冷静な科学的判断力と妹ザンナを守り導こうとする優しいたくましさ、則ち"男性的"な節制と克己心ゆえだろう。ここに、シュティフターが抱く理想的な"人間"像を、ひいては「"人間"の理想は、当然、"男性"が担うものだ」という無意識の前提としてのジェンダー規範を、読み取ってしまった。このような市民的節制を備えた"人間"という理想型は、トーマス・マンやルカーチなどドイツ教養人の間でかなり広く共有されていた観念であるようだが、その背後には今日的に云うところのジェンダーバイアスが隠れていたということを、本作品を通して認識した。そうした理想型は現代日本に於ける一般通念の中にも生きている。 "「なんでもないよ、ザンナ」と少年は言った。「こわがっちゃいけないよ、ぼくについておいで。どんなことがあっても家へつれてってあげるから。――雪さえやめばなあ!」・・・。兄は、白くて明るくて、たえずちらちらとしている不透明な空間のなかを、妹をみちびいて歩んだ。" 画家でもあったシュティフターの自然描写(雪、岩、氷河・・・)には迫力があり、厳しい雪山の威容がありありと現前する。また冒頭に描かれる山中の村に住む人々の生活、特にクリスマスの描写には、静かで素朴な美しさを感じる。 「石灰石」 小さな存在の小さくとも誠実な善意がほんの一部であれ世界を少しずつ救っていく、それこそが何にもまして偉大であり崇高なことなのだ、というシュティフターの信念がよく表れている。 牧師が父から課せられた修行時代の話が興味深い。そこでは、現実に根を下ろした質実な職人・実業家が、悪の存在を認識したうえでそれに惑わされぬ克己心と節制を備えた者が、理想的な"市民"像として描かれている。 "この世に生きていく以上は、人はこの世を知らなければならない。そこでおこなわれるよいことも悪いことも知らねばならない。しかし、悪いことにはそまらず、それによって自分を強くしていかねばならない。" 一方で、牧師自身は世事に疎い人物であった。しかし、そうした彼の純朴な善意が最終的には社会の中で力を得て現実的な形として実を結んでいく、という結末にシュティフターの優しい理想主義を感じた。
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