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安達原・黒塚 対訳でたのしむ 対訳でたのしむ
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 檜書店 |
発売年月日 | 2000/08/05 |
JAN | 9784827910179 |
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安達原・黒塚
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安達原・黒塚
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般若の面を着用する数少ない演目の1つで、鬼女ものの能です。 みちのくを旅する山伏たちが、安達原に差し掛かったとき、日が暮れてしまいます。人里離れた場所ですが、人家の灯りが見え、一行は一夜の宿を請います。女が一人出てきて、「あばらやで、とてもお泊めすることはできない」と最初は断り...
般若の面を着用する数少ない演目の1つで、鬼女ものの能です。 みちのくを旅する山伏たちが、安達原に差し掛かったとき、日が暮れてしまいます。人里離れた場所ですが、人家の灯りが見え、一行は一夜の宿を請います。女が一人出てきて、「あばらやで、とてもお泊めすることはできない」と最初は断りますが、一行が気の毒になったのか泊めてくれることになります。 若くない女は日々の暮らしのために糸繰をしています。物珍しさにやって見せてくれという一行の前で糸を繰りながら、女は我が身の貧しさを嘆きます。 夜が更けるにつれ、寒さが増します。女は、一行のために、奥の山から薪を拾ってきて火を焚こうと申し出ます。但し、自分が留守をする間、奥の寝室は決して覗くなと言い置いて。 ・・・ありがちな状況ですが、もちろん、客は覗いてしまうのですね。 「見るな」と言われれば見たくなるのが人情。女がわざわざ触れなければ、そもそも奥の部屋になど気づかなかったのかもしれないのに。 隙間から覗き見ると、部屋には夥しい数の腐乱死体があったのでした。 さては女は鬼なのか。 驚いて逃げ出す一行。秘密を見られた、正体がバレたと追いかける鬼女。 一行はこれを迎え撃ち、法力でねじ伏せようと五大明王の名号や不動明王の呪文を唱えます。鬼気迫る戦いの果て、鬼女は弱り、調伏され、姿を消してしまいます。 恐ろしい鬼のお話ですが、詞章には、源氏物語や伊勢物語、拾遺和歌集などに触れた節もあり、作者は不明ですが、教養を感じさせます。博識の人物が1人いたというよりも、複数の演者が語り継ぎ、演じ継いできた中で、あちらから拝借、こちらから転用、という形で、蓄積されたものなのかもしれませんが。 冒頭は、 「旅の衣は篠懸(すずかけ)の、旅のころもは篠懸の、露けき袖やしをるらん」(私たちの旅の衣は山伏修行の篠懸衣、山野に分け入ってただでさえ湿りがちなこの袖は、旅の苦しさで流す涙にいっそうぬれそぼることよ) の一節で始まりますが、能『安宅』や、そこから派生した歌舞伎の『勧進帳』にもまったく同じ箇所があります。『安達原』は15世紀半ばには存在したと見られ、一方、『安宅』は南北朝から室町初期の作と言われています。どちらが先か(あるいはさらに原典があるのか)はちょっとよくわかりませんが、いずれにしろ、名文句ということでしょうかね。都を離れ、東北に至る旅を思い起こさせる一節となっていたのかもしれません。 鬼と対峙する山伏らの唱える呪文は成仏を祈るものなのですが、鬼は最終的に「失せにけり」(姿を消した)と言われるのみで、本当に成仏したのかはわかりません。 そもそも旅人を憐れんで泊めてやったのに、そして「見るな」という頼みを無視したのは旅人の方なのに、成敗されてしまうのは何だかちょっと鬼女がかわいそうな感じもします。 とはいえ、薪を取りに行くと言ったのも本心かどうかはわかりませんし、ひょっとすると一行を油断させて取って食おうと思っていたのかもしれません。 能は解釈の余地を残します。 演者は演者なりの考えで演じ、観客は観客なりに受け取ります。 すべてをわかるように明快に一本道で示さない。 実はそこが能の1つの肝なのかもしれません。
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