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ナンギやけど… わたしの震災記
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 集英社/ |
発売年月日 | 1996/01/17 |
JAN | 9784087752045 |
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ナンギやけど…
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※このレビューにはネタバレを含みます
最初の縦揺れでタンスが前に倒れた。次の横揺れで起き上がった。田辺聖子さんのボランティア講演の内容です。「ナンギやけれど・・・わたしの震災記」、1996.1発行。ただ、涙でした。①お父さんは息子の上に、お母さんは女の子の上に。一家4人死亡 ②帰らないあるじを半壊の家で待ち続ける犬 ③子犬を胸に抱いてかばったまま、ともに圧死したミセス ④小さな室内犬だけをリュックに入れて避難した女性。※被災者として貸してもらった風呂に短時間で入るため夫婦一緒に。それから仲良くなった。※※逆に、自分を跨いで先に逃げた夫、離婚の危機も。
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小松左京の『大震災 '95 』を読んだら、他にも記録が読みたくなって、図書館の蔵書検索で「阪神・淡路大震災(1995) 」の件名で引っかかった本の中から、伊丹で被災した田辺聖子の震災記を借りてみた。 これは、「私の家も実は少しばかり」(p.8)被害のあった田辺が、大...
小松左京の『大震災 '95 』を読んだら、他にも記録が読みたくなって、図書館の蔵書検索で「阪神・淡路大震災(1995) 」の件名で引っかかった本の中から、伊丹で被災した田辺聖子の震災記を借りてみた。 これは、「私の家も実は少しばかり」(p.8)被害のあった田辺が、大好きな神戸のまちの復興に何か役に立ちたい、何か私のできることでと考えて、チャリティー講演会をしたときの話「ナンギやけれど…」と、書き下ろしの「わたしの震災記」をあわせた本。 1月16日の晩、ほんとうなら「締切の迫った原稿」をほんとうは徹夜して書かねばならなかったところ、母がみんなを集めて催した新年宴会で軽く酩酊していた田辺は、「まあ、いいや、あしたでいいや」(p.15)という感じで寝てしまって、それで命拾いをした。 翌朝早くの大揺れのあと、仕事部屋をのぞいた田辺は、「大きな重たい書架が全部前かがみに倒れて、その下に私の仕事机がある」(p.17)のを見る。資料の棚もみんな倒れて、書類とガラスが散乱、資料戸棚の上にあった箱は「力任せに放り投げたみたいに、箱の角という角がみんな破れて」(p.17)いたという。 あの地震があったとき、私は木造アパートの2階の部屋に住んでいて、スチール本棚を6本だったか7本だったか並べていた。幸いなことに本とホコリが降っただけで、本棚は倒れずにすんだが、私の住まいを知る複数の人の脳裏には、私が本棚の下敷きになっている絵が浮かんだそうである。 近所の、私が当時通学していた大学では、図書室でも研究室でも軒並み本棚が倒れたから、運が良かったとしかいいようがない。 戦争経験もある田辺は、こんなことを書いている。 ▼よく、今度の阪神大震災と戦争とを比べられますけれども、どうでしょう、どっちが上で、どっちが軽かったということは言えないと思います。…(略)… ただ一つ、私が、これは空襲よりまし、震災のほうがましと思うのは、いま平和な時代なので男手があることでございます。…(略)… それから二つ目は、絶望の気分でございます。戦争中は…(略)お互いに助け合いたくても、自分ももうないんですね。こういうつらいことからみますと、今度は、ほかの町はまだ被災していませんし、ボランティアの人たちがすぐ駆けつけてくれた。…(略)… それにもまして私が思ったのは、テレビに延々映し出される被災死したかたがたのお名前ですね。空襲では、これは出ません。もちろんその時代にテレビはありませんけれども、新聞でも、どこそこがきのうの晩、空襲に遭ったという記事は防諜上許されておりませんので、書けません。…(略)… 昔はそういうことがありますけれど、今度は延々と死者の名前が出た。まだよかった。死んだ人が救われる、葬られるという感じがいたしました。(pp.31-35) 私は当時テレビのない生活をしていたので、新聞に累々と記されていった亡くなった方の名前、行方がわからない方の名前、その紙面を思い出す。名前を刻むことの意味を思う。発災後しばらくはずっとラジオを聞き、そして停電しているところもあるのにと思いながらも、電気をつけたままでないと寝られなかった。暗闇が怖かった。そんなことを思い出す。 この大地震が政府に伝わった情報ルートについての驚きも記されている。 ▼人々は新聞で、首相がテレビによって地震の第一報を知ったということにびっくりする。それならわれわれ一般庶民とかわらないじゃないか。政府直結の情報網はないのか。一瞬にして民家が崩壊し、高速道路が壊れ、火の手が上がり、死者はふえつづけた、そのニュースを国民よりおそいスピードで政府や閣僚が知ったということに衝撃を受ける。 我々が信頼していた政府がそんなにトロい、鈍くさいものであったのか、これではあまり信用ならぬと、認識の革命がおきた。(pp.162-163) 小松左京の本でもふれられていたが、地元紙の神戸新聞の論説委員長であった三木康弘さんの社説「被災者になって分かったこと」※が、この本でも言及されている。 この地元紙の、震災発生からの日々を描いた『神戸新聞の100日』という本があるらしいので、これを今度は読んでみようと思う。 (2/1了) ※社説 被災者になって分かったこと(神戸新聞、1995年1月20日) http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/01/rensai/199501/0005491602.shtml
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なんでこの本を手に取ったのかなー。不思議。 最近関東でも地震が多いから。なのかしら。 阪神大震災のときに見たあの映像を忘れることが出来ない。 瓦礫の前でインタビューを受ける男。 そこへ原ちゃりにのった男が偶然近づいてきて、お互いの無事を喜びあう。 「お前、生きとったんかい!」...
なんでこの本を手に取ったのかなー。不思議。 最近関東でも地震が多いから。なのかしら。 阪神大震災のときに見たあの映像を忘れることが出来ない。 瓦礫の前でインタビューを受ける男。 そこへ原ちゃりにのった男が偶然近づいてきて、お互いの無事を喜びあう。 「お前、生きとったんかい!」 「ほんでお前おかあはんはどないした?」 「おかあはんはなぁ…おかあはんは…」 泣き崩れる男を抱えるようにして、原ちゃりの後ろに乗せる。 二人乗りは禁止ですとか、ヘルメットをしなさいとか、 そんなことは本当にもうどうでもいいような瓦礫の向こうに去ってゆくバイク。 この本を読んでいたら、あの光景をまた思い出したのでした。
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