商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 紀伊國屋書店/ |
発売年月日 | 1995/04/15 |
JAN | 9784314007030 |
- 書籍
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社会学的想像力
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社会学的想像力
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商品レビュー
4.6
6件のお客様レビュー
出版社(紀伊國屋書店)のページ https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784314007030 内容・目次 新訳( 伊奈 正人, 中村 好孝 訳) 出版社(ちくま学芸文庫) https://www.chikumashobo.co.jp/p...
出版社(紀伊國屋書店)のページ https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784314007030 内容・目次 新訳( 伊奈 正人, 中村 好孝 訳) 出版社(ちくま学芸文庫) https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480097811/ 内容・目次 訳者 中村 好孝による解説 https://www.webchikuma.jp/articles/-/488
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身の回りで起こる諸問題と社会構造との関係性を読み解く力(社会学的想像力)の大切さを教えてくれた本です。 社会学的想像力とは何なのか、その欠如がどのような問題を生み出すのか、私たちはどう振る舞うべきなのか、そんなことを考えさせてくれます。
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社会学は何をすべきか、という問題を考えるにあたってミルズは社会学とは社会科学な個人生活史と歴史、および社会構造内におけるそれらの相互浸透を考察の対象とするということを念頭に置いて、50年代から60年代にかけてのパーソンズ批判の文脈に則った形で社会学の潮流を批判する。 抽象化され...
社会学は何をすべきか、という問題を考えるにあたってミルズは社会学とは社会科学な個人生活史と歴史、および社会構造内におけるそれらの相互浸透を考察の対象とするということを念頭に置いて、50年代から60年代にかけてのパーソンズ批判の文脈に則った形で社会学の潮流を批判する。 抽象化された経験主義によってなされた研究では、「彼ら自身」が関心をもっている実質的な問題を研究しなかった、とか彼らは大部分の社会学者が重視している問題を研究していない、ということ述べるにとどまらず、彼らの勝手に「科学的方法」だと信奉している一つの科学哲学によって奇妙にも自己閉鎖的に制限された枠のなかでしか自分の問題を提起し解明することができず、問題選択や問題設定が厳しく制限された方法論的禁制に陥っていた。 新しい実用主義は社会学者の位置をアカデミックな位置から官僚的な位置に変化させることを、改革者のグループから政策決定グループを相手にする傾向、自分自身で選択した問題から新しい顧客の問題に、学者自体が知的に剛直でなくなり官僚的実際家になり現在の状況を一般的に受け入れることによって管理担当者たちが当面するだろうと思っている大小様々な問題のなかから問題を取り出そうとし、彼らが絶えずイライラとしてモラルのない労働者や人間処理関係を理解しない経営者を研究し、マスコミ産業や広告会社の営利目的や企業目的に丹念に奉仕するようになることを批判した。 社会学の混乱は「科学」の性質を巡る長期的論争と深く関係し、「科学的経験主義」という意味内容に関して自明とされる一つの解釈が存在しないことを根拠に、全く異なった探求のモデルとして職人の意味が認識されてよいとする。社会学のなかにいくつかの研究スタイルが存在することを認めると多くの研究者達は、それらを統合すべきだと考える。社会科学の研究にとってそうした研究がなんらかの有効性があることが疑われるわけではない。実際それを意識することによって私達は概念の構成や研究の手続きに関してますます意識的になりそれを研ぎ澄ますことができるようになるが、それはあくまでも一般的な性質のものにとどまらざるを得ないため、社会学者はそのようなモデルを過度に深刻にとる必要はむしろないと主張する。 ミルズは「社会科学」の名のもとに探求すべき問題を制限することは単なる奇妙な臆病としか思われないと述べる。 社会学的想像力を所有しているものは巨大な歴史的状況が、多様な諸個人の内面的生活にとってどんな意味をもっているかを理解することができる。社会学的想像力をもつことによって、いかにして諸個人がその混乱した日常経験のなかで、自分たちの社会的な位置をしばしば誤って意識するかに、考慮を払うことができるようになる。日常生活のこの混乱のなかでのみ、近代社会の構造を探求することができ、またその構造の内部でさまざまな人間の心理が解明される。このような方法によって、人それぞれの個人的な不安が明確な問題として認識され、また公衆の無関心も公共的な問題との関連のなかに設定されるようになる。社会学的な問題設定とは常に私達と世界との接点に考察対象が存在する故に、方法論のための方法論に陥ることなく私自身の実存的な問題について思いを馳せ続けなくてはならない。古典的社会科学観は私達が常日頃生活していくなかでの疑問を社会や歴史の中に位置づけることに関して非常に示唆的であるといえよう。
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