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イタリア・ルネサンス美術の水脈 死せるキリスト図の系譜
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イタリア・ルネサンス美術の水脈 死せるキリスト図の系譜

塚本博(著者)

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イタリア・ルネサンス美術の水脈 死せるキリスト図の系譜

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 三元社/
発売年月日 1994/01/25
JAN 9784883030194

イタリア・ルネサンス美術の水脈

¥2,136

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2022/10/14
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ドナテッロの「マグダラのマリア」   -2006.06.16記 ものづくりにおける手技-てわざの果てしなき格闘というものは、時にその人の想念を超えて、思いもせぬ結実にいたることが、滅多とないことだが、稀にあるものだ。 我が師の神澤和夫は生前、これを「Demonの宿りし」或いは「Demonに魅入られる」などとよく言っていたが、彼ほどには近代的自我に覚醒もせず、強靱な自己意識も持ち合わせ得ぬ私であれば、Demonなどという言葉はとても出てこない。さしずめユング流の「集合的無意識」あたりにご登場願うのが適当かと思っているのだが‥‥。 もう6年も前になるが、フィレンツェのドウモ附属美術館で観たドナテッロの「マグダラのマリア」は衝撃的な作品だった。 回廊からさほど広くない細長いその部屋に入った途端、壁に掛かった磔刑のキリスト像に向かって室内中央に立つ像の、そのモダニティ溢れる異容な佇まいが発する情念の衝迫力に、これがイタリア.ルネサンス期のものかと我が眼を疑うような思いに囚われた。その驚愕の波がやや静まってから私の脳裏をよぎったのは20世紀シュールレアリスムのジャコメッティの彫刻作品だった。 乱暴に過ぎるとおおかたの誹りを受けることだろうが、「マグダラのマリア」像とジャコメッティの彫刻に、ひどく近接するものを、私はそのとき感じていたのだ。 自身の浅学蒙昧ぶりを曝すようで恥じ入るばかりだが、このところ塚本博著の「死せるキリスト像の系譜」と副題された「イタリア.ルネサンス美術の系譜」を読みながら、ミケランジェロにほぼ1世紀先行したこの像の作者ドナテッロについて、私はほとんど何も知らなかったことを思い知らされつつ、あらためて「マグダラのマリア」の記憶を手繰り、想いをめぐらせていた。 塚本博の評言をそのまま借りれば、ルネサンス美術の舞台は、その前半をフィレンツェが務めるが、やがてその流れは北上し、パドヴァとヴェネツィアにも新たな潮流が生まれる。この北イタリアの動きをフィレンツェ美術に連動して術することで、むしろ中世との関連も明らかとなる。 この華麗な廻り舞台のような二幕場面を往来架橋する美術家が、フィレンツェの彫刻家ドナテッロであり、ドナテッロの彫刻は、15世紀初頭にあって写実様式を打ち立てるだけでなく、物語性と記念碑性の両極に緊張関係をもたらした。 これは彫刻における「ドラマの集約性」とでも呼ぶべき造型原理であり、S.リングボムに言わせれば「クローズ.アップされた物語」ともいうべき方法である、となるが、たとえばミケランジェロの彫刻群とドナテッロのそれらを比較してみれば、ドナテッロからミケランジェロへと、イタリア.ルネサンスの造型がまさに花開き見事に完成態へと移行していくプロセスとして対照できるかと見えるのだが、ひとり「マグダラのマリア」像だけはそこからあきらかに外れてしまっているのではないか、と私には感じられる。 「ドラマの集約性」ないし「クローズ.アップされた物語」との評言はまことに当を得たものと思われるが、この「マグダラのマリア」においては、それをも超えてなお過剰なる凝縮が、私を撲ってやまないのだ。

Posted by ブクログ

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