商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房/ |
発売年月日 | 1992/01/20 |
JAN | 9784480813022 |
- 書籍
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時空の端ッコ
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時空の端ッコ
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時事問題に関する評論集。ベルリンの壁崩壊直前に「意外と崩れるのは早いかもしれない」と実は東ドイツの人が語っていた!欧州の諸小国8国による小国五輪なるものの存在は楽しい。この国々の名前を唱えるだけで、詩を読むような気持ちを誘われるとのこと。確かに!!巨大五輪はいやらしい!との言葉...
時事問題に関する評論集。ベルリンの壁崩壊直前に「意外と崩れるのは早いかもしれない」と実は東ドイツの人が語っていた!欧州の諸小国8国による小国五輪なるものの存在は楽しい。この国々の名前を唱えるだけで、詩を読むような気持ちを誘われるとのこと。確かに!!巨大五輪はいやらしい!との言葉も。スイスの軍隊の実情の説明が知らない事実で驚いた。1812年以降戦争がなく、軍とは最高指揮部だけが職業軍人とのことであり、スイスにも軍隊があると聞かされてきたこととの乖離に騙された思いで愕然とした。この他フランス革命のバスティーユ獄襲撃で囚人たった16人に驚いた話!ジブラタルの英からスペインの返還は住民が投票で希望せず実現しないという裏話も、日本の北方領土問題を重ねると皮肉な話である。
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炭鉱のカナリアが有毒気体に対して敏感に反応するように、作家もまた、鋭いアンテナを張り巡らせて、現代の社会・経済・思想・環境などを語っていかなければならないのでしょう。 『広場の孤独』や『方丈記私記』などで知られる堀田善衛の、時代を切り取った素晴らしいエッセー。『ちくま』誌で連載...
炭鉱のカナリアが有毒気体に対して敏感に反応するように、作家もまた、鋭いアンテナを張り巡らせて、現代の社会・経済・思想・環境などを語っていかなければならないのでしょう。 『広場の孤独』や『方丈記私記』などで知られる堀田善衛の、時代を切り取った素晴らしいエッセー。『ちくま』誌で連載された「同時代評」のうち、1989年~91年のものが収録されています。 堀田善衛がちょうど70歳を過ぎたころから書かれたエッセーであり、時期としてはソ連崩壊や東西ドイツの統一に代表されるように、世界地図が大きく動いた時代に当たります。 そんな時代に、作家は何を見たのでしょうか。 その一番手として挙げられるのが、「安易なナショナリズム」に対する危機感・警告でしょう。 『ラテン文と漢文』の中では、ドイツ語で文を記したチェコ出身の作家フランツ・カフカや、日本の禅宗・五山文学などを例に挙げて、自国語で書かれたもののみを自国の文学史と位置づける違和感を指摘するとともに、文学と思想を切り離していることが両者の貧困を招いている現状を憂いています。 また、『出エジプト記』の中では、ブルガリアでジフコフ体制が倒れたとき、デモの群衆が「ブルガリア人のブルガリア人を!」と叫び、トルコ系の国民を追い出そうと要求する姿に、かつて日本帝国政府が朝鮮半島の人々に日本名を強制した、悪しき歴史を連想し、背筋に冷たいものが走るのを覚えています。 「不寛容なナショナリズムが何を生むかは、人間は散々に経験済み」のはずであるのに、現代は歴史から学ぼうとしないのです。あるいは、指導者が歴史を踏まえたうえでナショナリズムを利用しているだけ、被指導者がまったくの無思考で批判的な思索を怠っているだけ、ということなのでしょうか。 さらに、『チェコスロヴァキア大統領ヴァツラフ・ハーヴェル氏のアメリカ議会における演説』では、ハーヴェル大統領の言葉が印象的に紹介されています。 「人間の意識の、地球的な革命なくしては」という前提に立ち、人々に「私の家族、私の国家、私の会社、私の成功如何」を越える責任感がない限り、環境、人口、文明の破壊を避けられない、かつ「かの膨大な核兵器の愚劣な山積」がある限り、われわれは勝利をしたとは言えない、「事実、われわれは最後の勝利からは、はるかに遠いところにいるのである。別の言葉で言えば、われわれは道徳性を、政治、科学、経済に先行するものとするすべを、いまだに知らないのである」 堀田善衛は、この演説に「横ッ面を張りとばされたような気がした」と記していますが、僕もまた横ッ面を張りとばされました。ハーヴェル大統領の言葉は、まさに「安易なナショナリズム」に対するアンチテーゼを提起していると言えます。 そして、堀田善衛は『プロクルステスの寝台』の中で、イデオロギーの終焉によって、時代が安直なナショナリズム・同族主義という藁に縋り付いてしまうことの危機感を表明しています。藁はしょせん、藁にすぎず、ナショナリズムだけではグローバルな現代にあって何も解決できない、と。 20年以上も前に書かれたエッセーですが、この20年間、人類は何も変わってないと痛感させられます。いや、たった20年間で人類は変わることができないのかもしれません。 今も堀田善衛が生きていたら、現代の世界は、日本は、どんなふうに映るのでしょう。残念ながら、それは叶わないことですが、少なくとも、僕らは堀田善衛の時代を見抜く姿勢、これに倣わなければならないでしょう。
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