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畏怖する人間 講談社文芸文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 1990/10/10 |
JAN | 9784061960992 |
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畏怖する人間
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畏怖する人間
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読む、考える、本を読むというのはこういうことだ。批評や評論はこのように描いたらどうだ・・・。 20代の柄谷行人が巨人に真正面から挑み、荒削りで衒いなく身をもって教える。 柄谷が文学研究のとば口で人生を賭けて夏目漱石や江藤淳、小林秀雄や吉本隆明などの作品を思索する本質的で奔放な論...
読む、考える、本を読むというのはこういうことだ。批評や評論はこのように描いたらどうだ・・・。 20代の柄谷行人が巨人に真正面から挑み、荒削りで衒いなく身をもって教える。 柄谷が文学研究のとば口で人生を賭けて夏目漱石や江藤淳、小林秀雄や吉本隆明などの作品を思索する本質的で奔放な論考を取り纏めたものである。 31歳で最初に出版した評論集は彼の思考の一里塚であることに違いはない。今でも読む者の心に迫る。 古井由吉の「内向の世代」の評価は斬新で納得である、彼の作品を読んでみようという気になる。
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柄谷行人の初期の論考をこうして読み、そのデビュー作の中にすでに後の問題系が詰まっていることを知りそれこそ「畏怖」を抱く。ここにいるこの自分自身の「意識」と、その「意識」の前に表れ出るなんとも形容のしようがない漠然とした「自然」(それは後の「他者」にも対応するだろう)。柄谷の論考は...
柄谷行人の初期の論考をこうして読み、そのデビュー作の中にすでに後の問題系が詰まっていることを知りそれこそ「畏怖」を抱く。ここにいるこの自分自身の「意識」と、その「意識」の前に表れ出るなんとも形容のしようがない漠然とした「自然」(それは後の「他者」にも対応するだろう)。柄谷の論考は著者の精神に直に肉薄し、彼がどう世界を捉え得たかを分析していく「精神分析」の性格が濃いと思った。それを読み進める読者のぼく自身も、自分の凝り固まった偏見が解体されていくような快感を味わえる。先行者への挑発的な言辞も散見され興味深い
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柄谷行人 「畏怖する人間 」 夏目漱石の存在論的な恐れ(内側から見た私)を抽出し、その系譜として 小林秀雄、吉本隆明、江藤淳らの思想的到達点をたどる構成。夏目漱石から吉本隆明への系譜はわかりやすかった。 意識と自然(漱石試論1) 漱石小説の二重構造を指摘し、漱石の存在論的な...
柄谷行人 「畏怖する人間 」 夏目漱石の存在論的な恐れ(内側から見た私)を抽出し、その系譜として 小林秀雄、吉本隆明、江藤淳らの思想的到達点をたどる構成。夏目漱石から吉本隆明への系譜はわかりやすかった。 意識と自然(漱石試論1) 漱石小説の二重構造を指摘し、漱石の存在論的な恐れ から漱石の内的世界を論じている 意識と自然とは *意識=自分に始まり自分に終わる=自分=社会 *自然=当然あるべき世界〜社会の規範と背立する=存在しないもの *自然と人間の関係〜人間は「自然」を抑圧し、無視して生きるが、それによって自らを荒廃させるほかない 漱石は人間の心理が見えすぎる自意識の持ち主だったため、見えない何ものかに畏怖する人間だった 漱石の内的世界 *社会に背立する私 *正体不明の不安〜私はどこから来て、私は何であり、どこへ行くのか *行き止まりの先にまだ奥がある 吉本隆明 *人間はもともと社会的人間ではない〜孤立して、自由に食べ考える「個人」であればいい〜自立とは孤独であること *吉本隆明が自立の根拠にすえているのは「自然」 吉本隆明は親鸞に「心理を乗り超えたものの影」をみた *善悪を決定するのは、人間の心理(意識)でなく、規範でもなく、それらを超えた何か *人間の善悪を「無意識の構造〜主観的な恣意性を超えた構造」において見る 漱石小説の二重構造 *倫理的位相と存在論的位相 *他者としての私(外側から見た私)と他者として対象化しえない私(内側から見た私)
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