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鹿鳴館の貴婦人 大山捨松 日本初の女子留学生
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論社 |
発売年月日 | 1988/11/25 |
JAN | 9784120017506 |
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鹿鳴館の貴婦人 大山捨松
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商品レビュー
3.5
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※このレビューにはネタバレを含みます
日本初の女子留学生としてアメリカに渡った後の大山巌公爵夫人、大山捨松の一代記。 筆者は捨松のひ孫である。 (厳密には、捨松の義理の娘の孫であり、血縁関係はない。) 私はこの本の存在を知るまで、大山捨松という人物を知らなかった。 当時、一緒に海を渡ったわずか8歳の津田梅子の方が一般的な知名度は高いであろう。 しかし、その津田梅子の創設した津田塾大学の前身である女子英学塾への捨松の貢献度は、梅子と同等と言って良いだろう。 梅子と二人で日本の女子教育の道を切り拓いた、偉大なる開拓者である。 けれども良妻賢母教育ではない、女子への高等教育を声高に謳った捨松でさえ、現代のジェンダー観からすれば隔世の感がある一説がある。 有志共立東京病院(現・東京慈恵会病院)を訪れた捨松は、男性が病人の世話をしているのを見て、 「『外国では看護人には女性を採用しているのを御存じのはずなのに、何故女性をお使いにならないのですか』と質問し、女性の方が生まれつききめ細かな看護に向いているし、病人にとっても女性のほうが気持ちが和むものだと説明した。」(P.188) というくだりがある。 現代の職業観、ジェンダー観に照らせば、避難轟々の大炎上となること必至の科白である。 捨松は、平塚らいてうや与謝野晶子などの“新しい女”には懐疑的であったと筆者は推測している。 捨松をもってしても明治期にジェンダーの縛りから自由になるという発想はなかったというのは、時代の流れかもしれない。
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日本初の女子留学生ですよ、皆さん。 あの津田塾の創始者(でいいのかな?)の津田梅子さんと一緒に、アメリカへ渡った人ですよ。 その大山捨松(この名前にも深い意味が)さんのひ孫にあたる方が書いてらっしゃいます。 捨松さんの、留学時代の話はとてもおもしろく、「へえ~、昔に、こんな...
日本初の女子留学生ですよ、皆さん。 あの津田塾の創始者(でいいのかな?)の津田梅子さんと一緒に、アメリカへ渡った人ですよ。 その大山捨松(この名前にも深い意味が)さんのひ孫にあたる方が書いてらっしゃいます。 捨松さんの、留学時代の話はとてもおもしろく、「へえ~、昔に、こんな素敵な人がいたんだなぁ」と読めるのですが、日本に帰国してからがちょっと寂しかった。 日本人で初めて、アメリカの大学の学士を持つ女性なのに、日本に帰ってからは仕事がない。 そんなすごい学歴を持つ女性を、どう扱ってよいのかわからなかったからだって。 そして、結婚していない女性は、一人前に見られない……。 なんかこういう風潮って、今でもあるよね…。 せっかくいろんな夢を持って帰国した捨松さんなのに、最終的には「お国のため」みたいになっちゃうのが、この時代仕方ないとはいえ、残念で仕方なかったです。 徳富蘆花の書いた「不如帰」のモデルにされた人なんですって、捨松さん。 そこには非常に冷たい継母、として書かれているので、とても心を痛めたとか。かわいそうに。 この本には津田梅子さんのこともよく出てくるので、この方の話も読んでみたいなぁ。
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