今日もあの世で待ち合わせ の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
私のテンションが、どれほど高まっているか、それを、みなぎ先生のファンであれば、きっと、察していただけるだろう。 好きな漫画家の作品を全肯定するイエスマンになるのは良くない。それは御尤もな意見だ、と私も解かっちゃいるが、やっぱり、イイモノは良いし、好きなものは「大好きだ」と言いたい訳である。 『終末のワルキューレ』や『ごほうびごはん』、『出禁のモグラ』、『令和のダラさん』、『カワイスギクライシス』など、リアルタイムで読んでいないからこそ最新刊が出る度に、「やったぁぁ」と喜んじゃう作品が、私には多い。 その中でも、やっぱり、みなぎ先生の作品は突き抜けている。しかも、この『今日もあの世で待ち合わせ』は、初期作品集と銘打っているだけあって、1993年の『ガール・マスター』を筆頭に、名作短編が掲載され、なおかつ、最新作と描きおろしまで収録されている!! これを読んで、高まったテンションをどうにかこうにか抑え込めている自分を褒めてやりたい。 藤田和日郎先生の作品に関しても言える事だが、ほんと、「大好き」」が突き抜けている作品に関しちゃ、好きな理由が絵柄やストーリー、キャラクター、バトルの表現センス、と一つに絞り切れず、その漫画を構成している全て、と答えるしかなくなってしまう。 それが、良い漫画の定義、そんなトチ狂った事を言うつもりはないけど、改めて、みなぎ得一先生は私の中で最高の漫画家に位置づけられる。 それにしても、今年は、『妖精学者の夏時間』だけじゃなく、この『今日もあの世で待ち合わせ』まで読めて最高じゃなかろうか。 これで、来年、二冊以上も読めたら、最高を更新してくれるかも? この台詞を引用位に選んだのは、みなぎイズムを感じるなぁ、と魂に響いたので。 自分の面白い、それを優先するのが良し、と適当に肯定している訳じゃないってのがミソ。 自分の「面白い」を見失わないようにした上で、他人の「面白い」を頭ごなしに否定せず、それを受容する大らかさを持って生きた方が面白いって事だろうか? 自分の「面白い」だけを信じて、他人の「面白い」を虐げるような生き方は、全く面白くない。 面白い、は「面白い」、それだけで充分だ。 「オレみたいに自分がどうやって生まれたのかもわからねぇヤツがいるぐらいだ。いいんじゃねぇ?わけわかんねぇヤツが、いつ頃からこうやって生まれて生きてる。森の中や街の暗闇、化け物屋敷に、人の頭ン中・・・オマエさんも面白いから、ここに居るんだろ?」(by義鷹)
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