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ぶらり謎解き浮世絵さんぽ の商品レビュー

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2024/12/21

 浮世絵ができるまでには、まず「版元」がプロデューサー的役割で全体の企画を立てるそうです。最初に「絵師」=ディレクターを決め、その絵師と相談しながら作品内容と詳細、さらに「彫師」「摺師」などのスタッフを決めて制作をスタートし、共同作業を行うそうです。そして、できあがった「浮世絵」...

 浮世絵ができるまでには、まず「版元」がプロデューサー的役割で全体の企画を立てるそうです。最初に「絵師」=ディレクターを決め、その絵師と相談しながら作品内容と詳細、さらに「彫師」「摺師」などのスタッフを決めて制作をスタートし、共同作業を行うそうです。そして、できあがった「浮世絵」は商品として版元の店頭に並びます。 絵師・・・墨一色の線画、「版下絵」を筆で描く 版元・・・「版下絵」を名主に提出、許可印を絵にもらう 彫師・・・「版下絵」を版木に貼り、「主版(おもはん)」を彫る      「主版」から「墨摺(校合摺)」を十数枚ほど摺る 絵師・・・「墨摺(校合摺)」を色別に、各色の指定・細部まで指示を出す 彫師・・・絵師の指示に従い複数の「色版」を彫る 摺師・・・絵師の指示に従い「試し摺」を摺る      絵師の了解を得て、初刷り(200枚)を摺る 版元・・・完成した初刷りを絵草紙店から発売  というのが、流れです。  お江戸の人気絵草紙店といえば、蔦屋重三郎(通称 蔦重)の耕書堂でした。鈴木春信の可憐な少女の刷りたての浮世絵を見て育った彼は、吉原のお茶屋「蔦屋」で育ちました。百万都市お江戸の真ん中、日本橋から日光街道沿い1キロ足らずの通油町(とおりあぶらちょう)に版元を出し、黄表紙を売り出します。そして「浮世絵版画」を販売するのです。蔦重は稀代のメディアプロデューサーとして江戸の人たちの楽しみを広げていったのです。耕書堂の現在の住所は中央区日本橋大伝馬町13です。  喜多川歌麿の当時三美人は有名です。寛政の三美人として知られた、新吉原の玉村屋の芸者 富本節の豊ひな、水茶屋 高島のおひさ、難波屋のおきたの三人のです。巷で話題のお嬢さんたちのブロマイドとして人気を博しました。江戸時代は平和が長く続き、女性たちがしっかり活躍していました。社会で働くのは当たり前で、地方からの男衆が多かった江戸で、とてもモテたそうです。  黄表紙や浮世絵は、質素倹約の寛政の改革で厳しい規制を受けます。蔦屋重三郎のもとで活躍した、わたしが好きな山東京伝も、喜多川歌麿も、出版統制で手鎖(てじょう)の処罰を受けています。わたしは山東京伝の読本『曙草紙』が好きなのですが、挿絵がすごいです。斬られて血の海だわ、首は飛ぶは、死体が腐敗していく様子が絵になっていたり、話の内容を含めて、今風のコンプライアンスなんてまったくありません。が、これでも婦女子向けに勧善懲悪を説いた話だと前書きに書いてある作品です。  山東京伝は、寛政2年(1790年)に過料に処せられたことを理由に戯作執筆をやめようと考えましたが、蔦屋重三郎の懇請で思いとどまったことがあります。処罰を受けたことにより重三郎は、戯作の出版を控える方向に転換し、喜多川歌麿を大々的にプロモーションして、美人画の錦絵を多数刊行して巻き返しを図りました。先の美人画がそれにあたります。重三郎は寛政9年(1797年)5月6日に47歳で没するまで活躍しました。  2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」では、横浜流星さんが蔦屋重三郎を演じるようです。脚本は「義母と娘のブルース」や「大奥」の森下佳子さん。きっと面白いと思います。  栄華乃夢噺といえば、恋川春町(こいかわ はるまち)の黄表紙『金々先生栄花夢』(きんきんせんせいえいがのゆめ)を思い出します。金村屋金兵衛という、江戸に出て立身出世を願う貧乏な片田舎の若者が、道すがら立ち寄った目黒不動門前の粟餅屋で、栗餅が蒸しあがる間のうたた寝で見た夢のお話しでした。夢の中で栄華を尽くした金兵衛は、人生は一時の夢のようなものだと悟り、田舎に帰るのでした。そんな人生の栄華の夢を過ごす蔦重のお話なのでしょうか?楽しみですね♪  閑話休題、技術力の高い絵師・彫師・摺師が描く、美しくて粋でおしゃれな浮世絵の謎を本書でお楽しみください♡

Posted byブクログ