森と、母と、わたしの一週間 の商品レビュー
山のなかで伸び伸びと自主性を大事にしながら育つ園児たちに比べたら私たちはなんとせまい世界を生きているのかと思わされた。まあ雷鳴る山の中を遊ばせるのはかなりリスキーだと思うけど。そして野々歩と母が気になる。母親の方がだいぶ機嫌に振り回されるみたいだけど、そっちの方は最後まで変わらな...
山のなかで伸び伸びと自主性を大事にしながら育つ園児たちに比べたら私たちはなんとせまい世界を生きているのかと思わされた。まあ雷鳴る山の中を遊ばせるのはかなりリスキーだと思うけど。そして野々歩と母が気になる。母親の方がだいぶ機嫌に振り回されるみたいだけど、そっちの方は最後まで変わらなくて野々歩の母親にはあまり共感出来なかった。
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中学2年の野々歩は、学校でボッチになる怖さからストレスを溜めていた。 祖母の葬式のあと、実家に残ったまま帰らぬ母のことを思い、学校へ登校せずに祖母の家のある田舎に向かった。 田舎の家は誰も居ず、町で見かけた「森のようちえん コロボックル」のポスターと同じ文字が書いてあるクリーム色...
中学2年の野々歩は、学校でボッチになる怖さからストレスを溜めていた。 祖母の葬式のあと、実家に残ったまま帰らぬ母のことを思い、学校へ登校せずに祖母の家のある田舎に向かった。 田舎の家は誰も居ず、町で見かけた「森のようちえん コロボックル」のポスターと同じ文字が書いてあるクリーム色のバンが目の前を横切り、思わず走り出した野々歩。 広場に着いたバンから次々と幼稚園児が飛び出してきて… 最後に降りてきたのは、なんと母である。 ボランティアをしているという母といっしょに翌日から森のようちえんに行く野々歩。 滞在している1週間で野々歩が体験したことは、自然に囲まれて自由に自分たちだけで楽しむ子どもたちの姿を見て感じたこと。 それは母も同じだった様子で、田舎が嫌いだと早くに家を出たから森や川で過ごす尊さを思うことがなかったと。 森の可能性にわくわくするのは、子どもだけじゃなくても大人もそうかもしれない。 できないことも大人が助けるのじゃなくて、子ども同士がちゃんと見て助けている。 何も特別なことじゃないけど、みんなが自由で活き活きとしているのは素晴らしいことなんだなと思った。 あとがきによると2021年、コロナが蔓延し先の見えない不安にだれもが揺れ動いていたとき、森のようちえん「まるたんぼう」がテレビで紹介され、森の自然の中で自分の興味関心のおもむくままにのびのびと動いている子どもたちを見て、著者が視察に参加したそうだ。 子どもたちの持つエネルギーの凄さ、物語からもひしひしと伝わってきた。
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中学校の閉塞感に耐えられなくなり、ふと離れて暮らしている母に会いたくなった野々歩。 祖母が亡くなった後の片付けのために、ひとり祖母の家に住んでいる母に会うのは半年ぶり。 久しぶりに会った母は、「森のようちえん コロボックル」でボランティアをしていた。 コロボックルの子どもたちの...
中学校の閉塞感に耐えられなくなり、ふと離れて暮らしている母に会いたくなった野々歩。 祖母が亡くなった後の片付けのために、ひとり祖母の家に住んでいる母に会うのは半年ぶり。 久しぶりに会った母は、「森のようちえん コロボックル」でボランティアをしていた。 コロボックルの子どもたちのパワーに圧倒される野々歩の気持ちがよく分かる。子どもたちは山や森の中を駆け回り、泥だらけびしょ濡れになるのも構わず、思う存分遊び倒す。 実在する「森のようちえん まるたんぼう」という幼稚園がモデルになっていると知り、とても興味を持った。 子どもたちが生き生きと過ごしている姿、山の澄んだ空気、荒々しい自然の雨と雷の音。 まるで目の前で見ているかのような、瑞々しい描写に胸が高鳴る。 野々歩が、都会の閉じ込められた教室を思い出し、「あー」と声を出して空を仰ぐ気持ちがとてもよく分かる。 「コロボックル」では子どもたちの自主性を、大人が邪魔しない。信頼して任せて、さりげなくフォローする。 子どもを守るって、そういうことなのだと思う。 狭い場所に閉じ込めて監視して、ああしろこうしろと口を出す守り方は、野々歩みたいな窮屈な思いに苦しめられる子どもを生み出してしまうんだろう。 自分もひとりの親、ひとりの大人として、子どもたちにのびのび過ごせるような守り方をしたいと思った。
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