1,800円以上の注文で送料無料

資本主義の中で生きるということ の商品レビュー

4

1件のお客様レビュー

  1. 5つ

    0

  2. 4つ

    1

  3. 3つ

    0

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2025/01/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「貨幣論」や「ヴェニスの商人の資本論」の著者として有名な岩井克人氏のエッセイ集。岩井氏の書く文章はユーモアに富んでいて、ついつい夢中になって読んでしまう。この手のユーモアは、明治・大正期の学者である寺田寅彦や中谷宇吉郎のエッセイを読んでいる時に感じるものと同じである。科学者としての鋭い指摘を絶妙なユーモアを交えて論じる技法は、まさに職人技と言えるだろう。 内容についてだが、本書には資本主義について主に倫理的視点から論じたエッセイが多く取り上げられている。特に筆者がいくつかのエッセイで繰り返し述べているのは、「法人(legal person)」という言葉が持つニ面性からの「株主主権主義」の批判だ。「株主主権主義」では、「会社は全て株主のモノ」と捉え、それゆえに企業は「株主のリターンを最大化するべく活動すべき」と考える。自由主義思想の先駆者であるミルトン・フリードマンは、1962年の出版した『資本主義と自由』の中で、「会社はその所有者である株主の道具でしかない」と述べているという(初耳でビックリした)。だが筆者は、「株主主権主義」を理論的な誤謬であると批判する。なぜなら、会社は「法人」だからだ。先述の「法人」の二面性を踏まえると、株主が保有しているのは抽象的な"モノ"としての会社=株式にすぎず、その他の資産である設備やオフィスを所有したり、従業員と契約を結んでいるのは"ヒト"としての会社にほかならない。したがって、株主が会社の所有者であると考えることは傲慢ですらあると筆者は指摘する。 我々が生きる21世紀経済は、岐路に立たされている。著者は、それを産業資本主義→ポスト産業資本主義への転換と表現している。なぜなら、1930年以降広く信仰された新自由主義思想にしばしば綻びが見られるからだ。綻びたものを修復するためには、「法人」の議論と同じように、思想の背景にある抽象的な概念の意味をもう一度捉え直す哲学的思考が必要ではないかと思う。

Posted byブクログ