翻訳をジェンダーする の商品レビュー
第一章ような話(翻訳小説の女性キャラクターの過剰に「女らしい」言葉遣い)を広げていくのかと思いきや、第二章は全然違う話になっていて、しかもこっちの方がメインだったので、タイトルとか帯分の文句とかが合ってない気がする。
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第1章では、①翻訳小説の女性と現実の女性、②翻訳小説の中の女性と日本語の小説の中の女性、③女性の翻訳者が訳した女性と男性の翻訳者が訳した女性をそれぞれ比べながら、翻訳の中の女性たちは典型的な女ことばを話し、女性を女らしさの規範に閉じ込めてしまう懸念について論じている。 「わたした...
第1章では、①翻訳小説の女性と現実の女性、②翻訳小説の中の女性と日本語の小説の中の女性、③女性の翻訳者が訳した女性と男性の翻訳者が訳した女性をそれぞれ比べながら、翻訳の中の女性たちは典型的な女ことばを話し、女性を女らしさの規範に閉じ込めてしまう懸念について論じている。 「わたしたちが気づかない間にじわじわと広がっていくイデオロギーは、わたしたちの意識の及ばないところでとても大きな影響を与えているのです。」(p.17) 「女ことばは女性が実際に使っている言葉ではなく、社会が考える女らしさの象徴だからです。翻訳された女性たちに女ことばを使わせるということは、女性たちを社会が考える女らしさという枠に押し込めることになります。そして、一人一人の個性を「見えない化」してしまうのです。」(p.115) 第2章では、1970年代にアメリカで女性たちによって発行された「Our Bodies, Ourselves」の内容や背景にあるフェミニズムの潮流に触れつつ、日本の女性たちがそれを翻訳する過程でどのような課題に向き合い、社会規範に抵抗したかがわかりわすくまとめられている。 『女のからだ』では、女ことばを使わずに女性を「見える化」したり、女性器名称のネガティブ表現をなくすために工夫したり、ジェンダーニュートラルな職業名を取り入れたりと、その時代(1974年)ではとても画期的な試みがいくつもなされていた。 第3章では、現代でも課題となっているネガティブイメージのない性器の名称が自分の体を肯定したり、性教育を行う上でいかに重要か、また「彼」「彼女」のほかのインクルーシブな代名詞についてなど、興味のある内容が取り上げられていた。これらは現在の日本では定着した言葉がないために、その存在が無かったことにされてしまったり、翻訳する上で困ってしまう。 日本語以外で少しずつインクルーシブな代名詞が取り入れられていることは知っていたけど、それらの言語でも新しい代名詞を作り定着させることは難しく、それらの単語が必要だと声を上げ続ける人の存在によってやっと市民権を得てきたことがわかった。日本語ではどんな単語が作れるか、自分でも考えてみたいと思う。
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前半は、翻訳小説の女性たちの言葉がどう訳されてきたか検証して現実には使われていない「女ことば」が多用されていることについて。翻訳小説中の女性と現実の女性の話し方、翻訳作品と日本語で書かれた作品(大人の小説と児童文学それぞれで)、女性による翻訳と男性による翻訳でそれぞれ具体的なデー...
前半は、翻訳小説の女性たちの言葉がどう訳されてきたか検証して現実には使われていない「女ことば」が多用されていることについて。翻訳小説中の女性と現実の女性の話し方、翻訳作品と日本語で書かれた作品(大人の小説と児童文学それぞれで)、女性による翻訳と男性による翻訳でそれぞれ具体的なデータを比較しているので説得力も十分。今や使わない日はない「社会」も女らしさのマーカー「〜てよ」「〜だわ」も翻訳が生み出していまやすっかり定着した表現であると思えば、翻訳の潜在的に秘めた力というのはたしかに侮りがたい。 後半は社会が考える「女らしさ」に翻訳がどう抗ってきたかを、アメリカで1970年代に作られ、女性の健康のバイブルとよばれる『Our Bodies, Ourselves』の日本語訳の経緯を通して紹介し、最後にまとめとして、言葉と社会の関わりから翻訳にできる3つのこと(翻訳の女ことばを減らし、用語の刷新や従来の言葉では表せない概念には新しい言葉を発明する)を提言している。 前半の翻訳の話をふくらませて、映画の字幕や海外ニュースの吹き替え/ボイスオーバーの問題などもあわせて論じたらおもしろかろうと思ったけれど、声質のチョイスなどまで問題にしたらまとまらないかな?
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