ノラや の商品レビュー
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ノラや ―愛猫随筆集 著者:内田百閒 発行:2024年9月10日 中央公論新社 初出:小説新潮 『彼ハ猫デアル』 昭和31年2月号 『ノラや』 昭和32年7月号 『ノラやノラや』 昭和32年8月号 『千丁の柳』 昭和32年9月号 『ノラに降る村しぐれ』 昭和32年12月号 『ノラ未だ帰らず』 昭和33年6月号(「彼岸桜」より) 『ネコロマンチシズム』 昭和37年5月号 『垣隣り』 昭和38年10月号 『「ノラや」』 昭和45年5月号 久々の百鬼園先生。山荘まちの図書館に並んでいた出たばかりの新刊、思わず借りてしまった。タイトル通り、野良から飼い猫になったノラという名の猫に関する連載エッセイ9本。上機嫌で書かれているのは最初の『彼ハ猫デアル』だけで、後は家出して帰ってこないノラを心配する思いばかりを綴っている。 もともと庭にいた野良猫がどこかで子供を生み、その内の子猫1匹(雄)が母親について庭に来るようになる。近づいてくるので、妻が柄杓で追い払おうとすると、遊んでもらっていると思い込む。とうとうその勢いで水瓶に落ちてしまった。助け上げたが、百閒が濡れた埋め合わせにと餌をあげることにしたら、以降、物置小屋に住み着いた。座敷では小鳥を飼っているので、最初は中に入れないようにしていたが、段々と入っていつの間にか飼い猫に。名をノラとした。イプセン「人形の家」のノラとは関係ない、と何度も出てくる。 2本目の『ノラや』が最も長い1編で、そのノラが出て行って、一度は一晩で帰って来たが、3月27日に出て行ってからは帰ってこなくなった。飼ってから1年半ほど。非常に心配し、探し回る。いつも一緒に遊んでいる靴屋の猫も出て行ったが4日で帰ってきたからと聞かされて少し安心。しかし、ノラは4日たっても帰ってこない。新聞に広告を出す。しかし、猫の行動範囲を考えると遠方まで届く新聞への広告出稿より、エリアを限定した折り込みが有効だろうと思い、次からは折り込みにする。結局、外国語版を含めて4回の折り込み。誠に失礼ながら謝礼として3千円を呈したい、とも表示した。 ノラは湯槽のフタの上にいることが多かった。今はその姿がない。2人とも風呂に入る気がしない。妻は20日間、百閒は1月入らなかった。 『ノラやノラや』になると、よけいにくよくよ考える。ネガティブ思考とポジティブ思考が交互する。どこかで死んでいるのか?大人になってから病気で死ぬのはないと言われ、それを信じる。猫さらいにさらわれて三味線になっている?いや、喧嘩して傷ついた皮膚なのでそんな猫を捕まえるはずがない。いろいろ考える。外国人の家に迷い込んで飼われているかもしれない。しかし、こちらの広告が読めないのかも。よし、英語で広告文案を考えよう。 折り込みを入れてから、電話が頻繁にかかってくるようになった。新聞や小説新潮、ラジオでも取り上げられるので、よけに掛かってくる。なかには、もう三味線になっている、などと酔った勢いでかけてくる者もいる。怪しげな電話も多い。 そのうち、ノラにそっくりな雄猫が来るようになる。猫に通じた人間にいわせると、ノラの弟ではないか、という。次第に飼い猫化してくる。尻尾の状態から「クルツ」と名付ける。のちに「クル」となっていく。 『千丁の柳』は、気を利かせた編集者が百閒を九州旅行に誘い出す。鉄道マニアの百閒が満足するような鉄道旅行。旅の話を記していくのであるが、最後にはノラのことを書き、帰宅しても玄関に座り込んで泣くところで終わり。まだ帰っていない・・・ とうとう1年たつ。まだ待っている。1年半で帰って来たというアドバイスもあり、希望は持っているが、寂しさはつのるばかりである。しかし、クルツ(クル)も可愛く、何かとノラと比較してしまうが、ノラならしないことをするのでしかると、服従ポーズをする。クルツも欠かせない存在になっていく。 4年もあけて連載復活している。書きようは過去のことになっているが、しかし、口ではまだ帰ってくる可能性があるとは言う。最後は昭和45年。最初の原稿から14年、行方不明になってから13年もたっている。この頃は、既に内田百閒も80歳前後だと思われるが、行方不明になった日を2日ほど勘違いして書いている。クルツ(クル)も6年生きたが死んだ。なんとか助けてくれと百閒は獣医に言う。まだ若い猫なのに・・・しかし、それは間違いだった。実はクルツは寿命で弱っていたのだった。つまり、彼はノラの弟ではなかったようだ(兄ではあったかもしれない)。
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